あしや 〔1〕第625号 令和元年12月18日〔1〕第625号 令和元年12月18日 あしや...

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10 13 60 60 退姿姿13 15 11 11 25 19 退12 発行所 あしや刊行会 〔1〕第 625 号 令和元年12月18日

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Page 1: あしや 〔1〕第625号 令和元年12月18日〔1〕第625号 令和元年12月18日 あしや 10年 ほ ど 前 の 異 動 の 際、 引 っ 越 し 先 が ワ ン 時に購入した物を乗り続ではないため、車は入隊た。元来、物欲が強い方収納できるものにしましトドア用のコンパクトにません。机や椅子は

 

十数年前、最後に芦屋

基地に訪れたのは、2教

部庁舎の裏にある7科プ

レハブが設置された時で

あった。真新しいプレハ

ブを前に、当時、教官か

ら「これで何とか課程教

育が実施できます。」と

報告を受けたことが走馬

灯のように蘇った。

 

私は平成6年の幹部任

官時、施設幹部に指定さ

れた。しかし、初級・中

級幹部の時は、防衛大学

校理工学研究科学生、教

育集団司令部第3課、そ

して、空幕教育課術科教

育班勤務と、施設幹部と

は名ばかりで畑違いを歩

いてきた。その時は、自

分が警備特技員の課程教

育など担当できるかとの

不安もあったが、1年も

経過すると専門家のよう

に扱われた。教育内容か

ら始まり、教官編成から

装備品、教材等の取得、

施設整備の要求まで、多

岐にわたる仕事を何とか

やり遂げることができ

た。

 

当時の警備特技員に対

する課程教育開始は、他

特技にあっては変化によ

る痛みを伴い、受け入れ

がたいものがあったこと

を承知している。しか

し、今では当然のように

教育が行われている。

 

現在は、自衛隊も海外

での活動に加えて、仮想

空間や宇宙をも相手にす

る時代となった。今後、

自衛隊も全く違った組織

となり、想像もしていな

かった業務を担うことに

なるだろう。これらの変

化にも我々も対応してい

く準備をしなければなら

ない。

 

(4科長 

篠崎2佐)

 

令和元年10月13日

(日)、芦屋基地航空祭が

開催された。

 

記念塗装機を含む2機

のT―4とUH―60J、

U―125Aがオープニ

ングフライトを行い航空

祭の開始を告げると、次

は4機のT―7による航

過飛行、先ほど登場した

UH―60J、U―125

Aによる救難訓練飛行へ

と続き、要救助者が迅速

に救助される様子に拍手

や歓声が起こった。その

後の午前中の飛行展示

は、2機のT―4による

機動飛行に続き今年度で

退役を迎えるRF―4に

よる訓練飛行が行われ

た。飛行を終え、芦屋基

地上空を去ってゆくR

F―4の雄姿に、手を

振りながら涙する航空

ファンの姿もあった。

 

地上展示やアトラクショ

ンでは、各種航空機の展

示の他、ペトリオット機

材の展示、陸上自衛隊の

装備品の展示、T―4リ

トラクション展示、航空

機や救難関連装備品の展

示等が行われ、来場客が

途切れることなく盛り上

がりを見せていた。中で

も、人気のT―4コック

ピット展示やパイロット装

備品試着記念撮影、C―

130Hキャビン展示、

花自動車体験搭乗には長

蛇の列ができ、大人気で

あった。また、自衛官募

集ブースでは、VR体験や

制服の試着体験の他に、13

教団のパイロット学生と

の記念撮影が行われ、こ

ちらも大盛況であった。

 

格納庫内のステージで

は、基地軽音楽部の演

奏、基地太鼓部の演舞が

行われ、演奏が始まる

と、あっという間に人だ

かりができる人気ぶり

で、今年は芦屋中学校吹

奏楽部の演奏も行われ、

ステージイベントは大盛

況であった。

 

その他にも、警備犬の

訓練展示や施設機材体

験搭乗、航空学生による

ファンシードリル等、人

気のアトラクションばか

りで、来場客も楽しんで

いる様子だった。

 

航空祭の終盤には、4

機のF―15による航過、

訓練飛行、F―2による

機動飛行が行われ、迫力

のある戦闘機の飛行展示

で今年の航空祭は終了し

た。帰路に着く来場者の

方々には笑みがあふれ、

航空祭を満足していただ

けたようであった。

      

(編集室)

 

令和元年11月5日

(火)、芦屋基地において

防衛大臣感謝状伝達式が

行われた。

 

感謝状を贈呈

されたのは「一般

社団法人九州電

気保安協会北九

州支部」で、かね

てから自衛隊に

おける就職援護

業務の重要性を

深く認識し、隊員

が再就職に不安

を抱くことなく

安じて隊務に精

励できるよう、永

年にわたり多大

な貢献をされてきたこと

受け、この度、感謝状が

贈られることとなった。

     

 

(編集室)

 

芦屋基地は、令和元年

11月5日(火)、基地司

令感謝状贈呈式を行っ

た。

 

この感謝状は、芦屋基

地の運営等に関して、特

に貢献してくださった部

外の団体及び個人へ感謝

の意を表するとともに、

更なる信頼関係を築くこ

とを目的として贈呈する

ものである。

 

今年度は、美浦喜明(水

巻町長)様、小橋達夫(芦

屋基地交友会会長)様、

王丸寛美(歯科医師)様

の3名、株式會社松尾設

計様、ホシザキ北九株式

会社様の2社に贈られ

た。

 

美浦様は、平成25年に

水巻町長として就任され

て以降、基地に対する周

辺地域の理解促進及び協

力関係の構築等に尽力さ

れた功績に対して、小橋

様は、交友会会長とし

て、基地が実施する諸行

事に対し格別のご支援を

賜るとともに、基地周辺

住民等に対する防衛意識

の啓発を図り、基地の安

定運用に寄与された功

績に対して、王丸様

は、平成19年以降、

診療委託医師として

歯科診療及び衛生指

導等を通じ、隊員の

健康管理に御尽力頂

いた功績に対して、

株式會社松尾設計

様、ホシザキ北九株

式会社様は、芦屋基

地の定年、又は任期

制退職者等を積極的

に採用していただく

等、芦屋基地の就職

援助業務の推進に寄

与された功績に対し

てそれぞれ記念品を

添えて感謝状を贈呈

した。 

(編集室)

防衛大臣感謝状伝達式

防衛大臣感謝状伝達式

芦屋基地司令感謝状贈呈式

芦屋基地司令感謝状贈呈式

 

令和元年12月9日

(月)、 

芦屋町役場、観

光協会、商工会、交友会

の方々が集まり、クリス

マスツリーの設置作業が

行われた。今年は芦屋

町の正門町交差点(スー

パーはまゆう前)に設置

され、同日の日没には煌

びやかに飾られたツリー

が芦屋町の夜に明るく輝

きだした。

 

このツリー設置は、芦

屋町の活性化を図るため

芦屋町の観光協会と商工

会が製作、芦屋町、芦屋

基地交友会、芦屋基地及

び若松法人会が協力する

形で実現した。

 

ツリーの前には、今年

も「共に前へ」の看板が

掲げられており、基地と

地元の皆様の絆を大切

に、共に芦屋町を盛り上

げて行こうという願いが

込められている。

      

(渉外室)

「共に前へ」

「共に前へ」

今年のXmasツリーは正門町へ

今年のXmasツリーは正門町へ

筆 

令和元年度

令令令令令令令令令令令令和和和和和元年年年度

 

芦屋基地航空祭を開催

発行所

あしや刊行会

〔1〕第 625 号  令和元年12月18日あ し や

Page 2: あしや 〔1〕第625号 令和元年12月18日〔1〕第625号 令和元年12月18日 あしや 10年 ほ ど 前 の 異 動 の 際、 引 っ 越 し 先 が ワ ン 時に購入した物を乗り続ではないため、車は入隊た。元来、物欲が強い方収納できるものにしましトドア用のコンパクトにません。机や椅子は

 

10年ほど前の異動の

際、引っ越し先がワン

ルームであったため、思

い切って家財道具の多く

を処分しました。その結

果、今私の部屋にはテレ

ビや電子レンジ等があり

ません。机や椅子はアウ

トドア用のコンパクトに

収納できるものにしまし

た。元来、物欲が強い方

ではないため、車は入隊

時に購入した物を乗り続

けています。使用してい

る携帯電話は所謂ガラ

ケーです。

 

周りの人は、この状況

を知ると奇異の目で見ま

すが、本人としては不便

なく暮らせています。テ

レビを見て深夜まで起き

ていることもなくなり、

読書や運動をする時間が

多くなりましたし、電子

レンジがないので、宴会

帰りについコンビニ弁当

を買って食べてしまうと

いった不健康な行為もな

くなりました。車にカー

ナビはありませんが、地

図を見れば移動には支障

はなく、ガラケーは、ス

マホほどの利便性には欠

けますが、仕事の連絡や

真の友人や家族との関係

を保つ程度の使用では不

自由はありません。 

 

現代は大量生産、大量

消費の時代であり、更に

テレビやインターネット

のおかげで、私たちの周

りには多くの物と情報が

溢れています。しかし、

多くの物を手に入れても

心が満たされなかった

り、多くの物に埋もれて

本当に必要な物が見えな

くなったりして、生き辛

さを感じる人が増えてい

るそうです。確かに今の

生活は、不便を感じる時

もあります。しかし、自

分にとって必要最低限な

物だけでの生活は、心理

的にとても楽な気分を与

えてくれます。

 

今後は家財道具だけで

なく、余分な体重も減ら

し、心だけでなく身も軽

くなって日々を過ごすと

いうことが現在の目標で

す。

 

芦屋基地は、令和元年

11月28日(木)に行われ

た「芦屋町地震・津波避

難訓練」に参加した。

 

芦屋町と基地の間に

は、平成30年8月に「津

波及び洪水発生時におけ

る一時避難施設としての

使用に関する覚書」が締

結されており、今年は7

月に洪水に対する避難訓

練も行われた。

 

今回の訓練は、福岡県

北西沖を震源とする地震

により津波が発生したと

想定して行われ、基地周

辺の学校に通う小学生や

福祉施設等地域住民の

方々が参加された。

 

本訓練で基地は、正

門、北門及び東門の三方

から避難されてくる避難

者の安全かつ速やかな避

難場所である基地格闘場

への誘導及び指揮所活動

等を行い、実際に津波警

報が発令された場合に必

要な支援内容の把握や、

避難経路の安全性を確認

した。

 

基地への避難訓練は、

これまでにも繰り返し行

われており、芦屋町役場

の職員や学校の教員等の

引率のもと、避難者の移

動もスムーズに完了し

た。訓練の最後では、波

多野町長の挨拶、加藤基

地司令の講評が行われ訓

練は無事に終了した。

 

今年も、地震や台風、

大雨といった災害に見舞

われ、想定していた規模

を超える災害も起きてい

る。発生する地域も広が

り、復興もままならない

中、短期間で被災する地

域もあった。こうした訓

練を重ねることで、防災

に対する意識を高め、い

ざという時に冷静に対処

できるように備えていか

なければならない。

      

(編集室)

 

令和元年11月8日

(金)、芦屋基地は「令

和元年度芦屋基地追悼

式」を行った。御遺族の

ほか、ともしび会九州支

部、隊友会、つばさ会、

翔友会及び基地交友会の

方々のご臨席を賜り、基

地所在部隊等の長及び隊

員400名が参列して殉

職隊員の御霊を追悼し

た。

 

はじめに、殉職隊員に

対する拝礼が行われ、殉

職隊員名簿の奉読、黙と

うが行われた。続いて執

行者である基地司令が、

「今日我々が任務に邁進

できますのは、強い使命

感を抱き、その職務を完

遂せんと尽くされなが

ら、志半ばにして殉じら

れました三十二柱の御霊

の御加護のお蔭であるこ

とを、決して忘れること

はありません。我々、芦

屋基地隊員一同は、御霊

が残された尊い教訓を胸

に、一丸となって国民の

負託に応えるべく、さら

に努力することを、そし

て、御家族の御平安と、

御健勝を祈念いたしま

す。(要旨)」と追悼の辞

を述べた。

 

その後、献花、儀じょ

う隊による弔銃斉射、殉

職隊員に対する拝礼が行

われ、最後に、御遺族を

代表して故髙倉石根2等

空尉の弟にあたる髙倉昭

様がご挨拶され、感謝の

お言葉をいただき、式を

終了した。 

(編集室)

 

世の中では、一億総

活躍社会の実現に向け

た動きの中、働き方改

革関連法案が今年の4

月から順次施行されま

した。大きな項目が2

つあり、その一つに「労

働時間法制の見直し」

があります。労働基準

法適用除外の自衛官自

身には、直接関係する

ことはないものの、影

響を受ける改革ですの

で簡単に紹介します。

 

見直し目的は、「働き

過ぎ」を防ぎながらの

「ワークライフ・バラ

ンス」と「多様で柔軟

な働き方」の実現です。

8つの項目で構成され、

主なものとして「残業

時間の上限規制」と「年

5日間の年次有給休暇

の取得」等があります。

 

例えば「残業時間の

上限規制」については、

告示等で記載されてい

た内容を法令に引き上

げ、使用者への罰則を

強化するとともに、1

か月間における時間外

労働に注目すると、こ

れまで時間外労働時間

のみを制限していたも

のを、時間外労働及び

休日労働を合わせた時

間で制限することとな

りました。基本的には

45時間を上限、特例と

して年間6か月に限り、

月100時間未満の制

限と複数月平均80時間

の制限を設けました。

この特例は、臨時的、

特別な事情がある場合

を想定しているもので

す。因みに、医師、建

設及び輸送等の事業に

ついては、適用が猶予

され、激務を要求され

る場合があることが想

像できます。

 

また、「年5日間の年

次有給休暇の取得」に

ついては、年次有給休

暇を10日以上新たに取

得した労働者に対し、年

次有給休暇を少なくと

も5日取らせるという

ものです。罰則は、一

人当たりの30万円(10

人いれば、300万円)

の罰金が使用者に課せ

られます。

 

今の世の中、人手不

足により残業と休日出

勤は当たり前で、年次

有給休暇も取りにくい

のでしょう。祝祭日も

出勤は法令違反ではな

いので、当たり前かも

しれません。因みに、

中小企業への適用は、

先の話となります。

 

今の我々と比較する

ことで、隊員募集状況

の改善と再就職先の比

較選定にかかるヒント

になれば幸いです。

令和元年度

令令令令令令令和和和元元元元年年度度

基地追悼行事を実施

基基基基基地地地地追追悼行事事を実施

芦屋町地震・津波

芦屋町地震・津波

  

避難訓練に参加

避難訓練に参加

御手水池 

2等空佐 

澁し

わ澤 

寛ひろし

 

第3術科学校

     

整備部長

 

第13飛行教育団

       

副司令

あ る 横 顔

1等空佐

山や

だ田 

敬けい

〔2〕第 625 号 あ し や  令和元年12月18日

Page 3: あしや 〔1〕第625号 令和元年12月18日〔1〕第625号 令和元年12月18日 あしや 10年 ほ ど 前 の 異 動 の 際、 引 っ 越 し 先 が ワ ン 時に購入した物を乗り続ではないため、車は入隊た。元来、物欲が強い方収納できるものにしましトドア用のコンパクトにません。机や椅子は

 皆さんこんにちは。2高群整補隊高射電子整備員の清水士長です。 出身地は、福岡県宗像市です。趣味は、サッカーと釣りです。バス釣りでは、大物のいるポイントを知っているので興味がある方は、ぜひ一緒にバス釣りをしましょう。 今後とも、公私にわたり充実できるように頑張りますので、よろしくお願いします。

 お疲れさまです。芦屋気象隊整備班に所属している米川士長です。 出身は熊本県。趣味は映画鑑賞、読書です。 入隊してもうすぐ一任期を迎え、自衛隊生活においてある種の節目であると感じております。今後、3曹昇任を目標に先輩の指導を教訓に業務に取り組みたいと思います。 また、趣味の幅を広げるべく、様々なことにチャレンジする所存です。

第2高射群 整補隊

空 士 長 清し み ず

水 良りょうすけ

輔 

本人の一言

芦屋気象隊 整備班

空 士 長 米よねかわ

川 優まさおみ

臣  

本人の一言

 

芦屋基地の皆様こん

にちは。今回は、あし

や新聞への投稿機会を

頂いたので、芦屋救難

隊機上無線員について

紹介させていただきま

す。

 

芦屋救難隊は、航空救

難及び災害派遣等発生

時には速やかに活動で

きるよう24時間365

日救難待機に就いてお

り、主に中国、四国地

方西部から九州北部を

管轄しています。

 

機上無線員は、捜索

機U―125Aに搭乗

し、無線を活用した指

揮所等との情報伝達、

捜索レーダー及び赤外

線暗視装置を活用した

要救助者の捜索並びに

発見後の救助機UH―

60Jの誘導を主な任務

としています。

 

広範囲な捜索エリア

においては、主に捜索

レーダーを活用して要

救助者を捜索し、自機

をその近傍まで誘導し

ます。近傍においては、

赤外線暗視装置と目視

により詳しく状況確認

し、UH―60Jを誘導

し救助へと繋げます。

このような一連の動作

を、日々の訓練におい

て繰り返し演練してい

ます。

 

空地及び機内での連

携、装備品の操作等、

捜索救助活動の一翼を

担う立場として、救難

団のモットーである「他

を生かすために生きる」

という強固な意志を持

って、これからも訓練

に励んでいきます。

(機上無線員 

林3曹)

 

令和元年9月19日に1

曹を対象とした警備特修

課程(10月16日まで)が

開始されましたが、今期

の特修課程学生(松本

正紀

1曹)の長男(松

泰紀

1士)が7月25

日から開始された初級警

備員課程(11月13日ま

で)に入校しており、父

子が同時期に警備課程

(特修、初級)に入校す

るという珍しい現象が発

生しました。

 

父子間で当直の命令

指示を伝達する場面や特

修課程学生による所属部

隊紹介などは微笑ましく

も、不思議な光景でした。

 

週末は一緒に外出でも

するのかと思いきや、両

名とも「それはない」と

言っていました。課程修

了後の部隊での活躍を期

待しています。

(警備特修課程スタッフ)

 

令和元年11月29日

(金)、基地モニターの

T―4体験タクシーが

行われた。

 

年末に近づくにつれて

月日が一層早く過ぎてい

く感覚に襲われる中、一

ただいて、航空自衛隊、

芦屋基地への理解を深め

ていただければ幸いであ

る。    

(渉外室)

年間のモニター活動も残

り3分の1となった。

 

これまで基地行事や他

基地の研修等を通して、

航空自衛隊のことを知っ

ていただいたが、今回の

体験タクシーは、パイロッ

トスーツに身を包み、さ

らにはGスーツやヘル

メットを着用してT―

4で滑走路を地上滑走で

きるということで、モニ

ターの方々もとても楽し

みにされていた。

 

最初は緊張されている

様子だったモニターの

方々も、和やかな雰囲気

で行われたブリーフィン

グのお陰で緊張も和らい

だ様子であった。

 

Gスーツのフィッティ

ングを終えたモニターの

方々は、いよいよT―4

に乗り込み準備のできた

機体から順に滑走路へと

向かった。約90ノットで

地上滑走が行われ、ほん

の少しの間パイロット気

分を味わったモニターの

方々は、「すごい加速に

びっくりした」、「あっと

いう間の出来事でもう一

度体験したい」等、貴重

な体験に興奮した様子で

笑顔を見せておられた。

 

来年の3月まであとわ

ずか、モニターの方々に

はもう少しお付き合いい

 

芦屋地方警務隊は、令

和元年10月30日から11月

1日までの3日間、航空

警務隊司令を査閲官と

する警務業務査閲

を受閲した。警務

業務査閲とは、部

隊における検閲に

当たるもので、3

年に1度、航空警

務隊司令が捜査能

力及び教育訓練等

の実施状況を査察

視閲して、地方警

務隊及び隊員の任

務遂行能力を評価

するとともに、そ

の進歩向上などを図るた

めに実施されるものであ

る。

 

本査閲では、開始申告

に始まり、状況報告、警

務点検、逮捕術点検、3

㎞走計測、各種書類審査

及び犯罪発生時の対処要

領等の点検が行われた。

その結果、隊長を核心と

して、一致団結、適切に

業務を遂行しているとの

評価を得た。

 

本査閲の実施にあた

り、第3術科学校をはじ

め、各部隊からご支援を

頂きましたことを本紙面

をもってお礼申し上げま

す。

(警務隊

小西2尉)

 

こんにちは、寒くなり

ましたが体調は崩してい

ませんか。衛生課准曹士

先任の佐藤曹長です。

 

今回は「かた」につい

てお話ししたいと思いま

す。

 

血液型、相撲の型、借

金の形など様々あります

が、「型」の捉え方を座

右の銘にされ、数年前に

お亡くなりになった中村

勘三郎さんは、自身の芸

を見つめ直し悩んでいる

ときに次の言葉に感銘さ

れたそうです。

 「型を身に付けなけれ

ば、型破りにはなれな

い」型を身に付けていな

ければただの「形無し」

となってしまうというこ

とです。

 

きっちりと基本を身に

付けているから慣例にと

らわれずにかたちを崩し

破天荒なこともサマにな

る。幼少期から徹底的に

基礎を叩き込まれて芸歴

50年近くになって感銘さ

れた言葉です。

 

私にとってこの言葉は

業務を進める上で随分と

印象的な言葉となってい

ました。自衛隊でなくと

も基本動作を徹底して仕

事をしていくこと、そし

て改善に取り組む、また

基本を稽古する、弟子を

育てる。その積み重ねが

良い伝統の継承に繋がっ

ていくと思います。我々

自衛官は、数年で人の入

れ替わりがあり師匠と弟

子の関係は難しいです

が、規則、手順書に基づ

いた教育や丁寧な指導

は、担当や立場が代わっ

ても有効であり、基本動

作を徹底する上での監視

装置のような役割を果た

すものだと思います。

 

最後に、基本動作を身

に付ける上で上司、先輩

からの助言、指導もあり

ます。その内容、声色は

長く心に残るものもあ

り、いつしか立場が代わ

り指導する場面でどのよ

うに伝えればよいのか、

体験に基づいて指導され

た言葉は具体性を持ち自

分を助けてくれることも

多くあると思います。結

果はとても重要ですが、

その過程も大切にして、

前向きに良い仕事に繋げ

て下さい。

ああ しし やや のの 若若 者者 職場紹介職場紹介

芦屋救難隊芦屋救難隊(機上無線員)(機上無線員)

父子で警備課程に入校

父子で警備課程に入校

基地モニター

基地モニター

  

Tー4体験タクシー

Tー4体験タクシー

警務業務査閲受閲

警務業務査閲受閲

   

   

(芦屋地方警務隊)

(芦屋地方警務隊)

准曹士先任のつぶやき

准曹士先任のつぶやき

  

3術校

3術校

業務部

業務部

衛生課

衛生課

〔3〕第 625 号 あ し や  令和元年12月18日

Page 4: あしや 〔1〕第625号 令和元年12月18日〔1〕第625号 令和元年12月18日 あしや 10年 ほ ど 前 の 異 動 の 際、 引 っ 越 し 先 が ワ ン 時に購入した物を乗り続ではないため、車は入隊た。元来、物欲が強い方収納できるものにしましトドア用のコンパクトにません。机や椅子は

零戦紀行

第1次ソロモン海戦―②

 

連合軍では、3機の

哨戒報告から第8艦隊

は島嶼間移動でラバウ

ルに向かうと判断して

おり、また、迎撃に向

かうと輸送船団が丸裸

になるとして、第8艦

隊迎撃案は早々に放棄

され、物資揚陸を急ぐ

こととなった。しかし、

どんなに急いでも9日

の早朝までかかる見込

であり、連合軍指揮官

達は輸送船団の護衛の

ため泊地への3水路で

ある、サボ島とガ島間

の南水路に南方部隊(重

巡オーストラリア、キャ

ンベラ、シカゴ、駆逐

艦パターソン、バッグレ

イ)、サボ島とフロリダ

島間の北水道に北方部

隊(重巡ヴィンセンス、

クインシー、アストリ

ア駆逐艦ヘルム、ウィ

ルソン)、ツラギ島東方

とガ島間に東部部隊(軽

巡サンファン、ホバー

ト駆逐艦モンセン、ブ

キャナン)、その他哨戒

隊としてサボ島北方に

駆逐艦ラルフ、タルボッ

トを配置し、万が一日

本艦隊がせめてきた時

でも、これで撃退でき

ると楽観視し、議題は

フレッチャーの離脱し

た泊地で如何に早く揚

陸作業を終わらせるか

に集中していた。

 

第8艦隊では、急造

の艦隊編成では複雑な

艦隊行動はできないこ

とから、次のような戦

闘要領を策定した。

・サボ島南側から突入

 

し、ルンガ沖の主敵

 

を雷撃後、ツラギ沖

 

の敵を砲雷撃、その

 

後、サボ島北側から

 

離脱

・突入は一航過とし、

 

できる限り速やかに

 

空襲圏外に離脱

・突入時刻は23時30分

 

以前とし、日の出時

 

04時40分にはサボ島

 

120浬圏外に退避

・狭隘な水道内戦闘で

 

混乱防止のため、各

 

艦1200mの単縦

 

陣とし、反転突入は

 

全く考慮しない。

・使用速力は燃料消費

 

も考慮し、26ノット

 

とする。

・水偵をガダルカナル

 

泊地に3機、ツラギ

 

港外に1機進出させ、

 

吊光弾による背景照

 

明を実施する。

・敵味方識別のため、

 

マスト両舷に白色吹

 

き流しを掲げる。

・右舷側への雷撃が多

 

いと思われるので、

 

予備魚雷は全て右舷

 

に移すこと。 

 

16時30分、三川中将

は「帝国海軍ノ伝統タ

ル夜戦ニオイテ必勝ヲ

期シ突入セントス、各

員冷静沈着ヨクソノ全

力ヲツクスベシ」と戦

闘前訓示を発し、一路

ガダルカナル泊地を目

指した。

連合軍の戦力は第8艦

隊を圧倒的に上回って

いたが、上陸部隊への

物資揚陸は手間取り夜

を徹して行われている

作業と日中の空襲によ

り36時間に渡る戦闘配

置で乗員は疲労してい

た。

 

22時20分、鳥海偵察

機がサボ島南方に軽巡

3隻、ガダルカナル泊

地に輸送船20隻発見と

報告、加古偵察機はツ

ラギ泊地に輸送船10隻

を確認した。

 

22時40分、第8艦隊

はサボ島南方水道に突

入を開始、直後に鳥海

見張員が右舷に哨戒艦

ブルーを発見したが、ブ

ルーでは搭載レーダー

が島影の乱反射により

機能しておらず、僚艦

のラルフ・タルボット

と誤認し去って行った。

その後、左舷にラルフ・

タルボットが現れたが

同艦も気付かずに去っ

て行った。また、東方

部隊のサンファンも水

偵をレーダーで探知し

ていたが、飛行機と船

の区別がつかず行動を

起こさなかった。

 

23時30分頃、突入開

始直後に、退避中の駆

逐艦ジャービスを発見、

鳥海と古鷹は各4本の

魚雷を発射したが命中

せず、ジャービスは攻

撃に気付かず立ち去っ

た。この魚雷発射直後、

別の敵艦隊を発見、水

偵に吊光弾による背景

照明を命じるとともに、

23時47分、各艦、先頭

艦のキャンベラに魚雷

を発射、命中を確認、

南方部隊に対して砲雷

撃を開始した。

 

駆逐艦パターソンは

砲撃開始後、天龍から

探照灯射撃を受け、艦

橋、第3、第4砲塔に

命中弾を受け、艦長が

戦死したパターソンは

戦列を離脱していった。

 

キャンベラはパター

ソンの警報を受け直ち

に戦闘配置をとったが、

配置が完了する前に魚

雷2本が命中、その後

20㎝砲弾を浴びせられ

て航行不能になった。

 

シカゴも警報と同時

に対応し、少なくとも

2本の魚雷を回避、照

明弾を発射したが、更

に探照灯照射を行った

時に左舷艦首に魚雷が

命中、直径5mの大穴

が空き浸水がはじまっ

た。続いて砲撃を浴び

せられ艦上構造物が破

壊されると、別の魚雷

が右舷に命中したがこ

れは不発に終わり、25

ノットの速力でスコー

ルの中に逃げ込んだ。

 

随伴する駆逐艦バッ

グレイは、左へ急速回

頭を行い戦闘配置をと

り、魚雷4本を発射し

たが命中せず、砲撃も

夕張に命中した盲弾1

発だけで、日本軍から

の反撃もなく、戦闘か

らは外れていった。

 

第8艦隊は天龍と夕

張が被弾しただけで、

一方的な攻撃で連合軍

南方部隊は壊滅、第8

艦隊はツラギ港外に向

かった。この間の戦闘

は僅か6分間であった。

この戦闘後、夕凪は電

源故障で自艦の位置確

認ができず、夕張と衝

突しかけたため単艦行

動を取り、キャンベラ

を雷撃し1発の命中後

戦闘海域から離脱した。

また、古鷹はキャンベ

ラに衝突しそうになり

変針したことにより、

後続の天龍と夕張の3

艦は鳥海と別行動をと

ることとなった。

 

鳥海はキャンベラ雷

撃後、左方向

に別の艦隊を

発見、探照灯

照射し敵部隊

の全容を明ら

かにすると共

に突撃を開始

した。

 

この艦隊は

米重巡ヴィン

センス艦長リー

フコール大佐

率いる北方部

隊で、リーフ

コール大佐は

仮眠中であっ

たが南方部隊

の戦闘砲火を

見た見張り員

の報告によっ

て叩き起こさ

れた。ヴィン

センスは砲撃準備を整え

ていたが、南方部隊の状

況が判らず、眼前の砲火

を連合軍南方部隊のガ島

支援射撃か、進入してき

た少数の日本軍駆逐艦と

の戦闘と思い、探照灯照

射は混乱した連合軍のも

のと判断、鳥海に対し隊

内電話で「照射を止め

よ、我味方なり」と通報

し、さらに旗流信号を上

げ20ノットに増速、南方

部隊の支援に赴こうとし

たが、後方から接近して

いたのは第8艦隊主力の

重巡4隻であった。

重巡洋艦 

青葉 

 

全長

185.7m

 

全幅

17.56m

 

排水量

9,000t

 

速度

33.43ノット

 

同型艦 

衣笠

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〔4〕第 625 号 あ し や  令和元年12月18日