Download - Gaku Tomioka Works 2011-2014
G a k u T o m i o k a W o r k s 2 0 1 1 - 2 0 1 4S e l e c t e d E d i t i o n
G a k u T o m i o k a W o r k s 2 0 1 1 - 2 0 1 4
S e l e c t e d E d i t i o n
Works
ひとつのおおきなゆうぐ [Elementary School]
都市劇場 [Concert Hall]
慈雨の調べ [Prayer Space]
― [Study for the Barcelona Pavilion]
004 - 017
018 - 033
034 - 045
046 - 057
E l e m e n t a r y S c h o o l 004
005 11|2012 ― 02|2014
京都市内の敷地に小学校を設計する。
小学校就学児童人口の減少により、京都市内の小学校は統廃合され新しくなった。そうした社会状況の変化は就学児童人口の減少だけに留まらない。
2001年の大阪池田市で起きた無差別児童殺傷事件以降、小学校をコミュニティに開いた建築とすることが難しくなり、単純にオープンな建築形態を
採用する事は困難になった。しかし、そうした社会背景があったとしても、小学校が基本的には徒歩で通学可能な近隣住民の児童のための施設であ
る事には間違いなく、現在の小学校はそうした状況の中で揺れ動いている。
ここでは敷地を大都市郊外ではなく、京都市内中心部に設定し、都市の中での小学校の在り方を考える。
ひとつのおおきなゆうぐ [Elementary School]
Instructor : Kiyoshi Sey Takeyama
E l e m e n t a r y S c h o o l 006
007 11|2012 ― 02|2014
ゆうぐを設計する 小学校にはいろいろな思い出がある。その大半は休み時間でのことで、中庭や運動場でいろいろな遊びをした時間だ。しかし、思い返
してみれば、校庭におかれた遊具のみならず、校舎の一部すらもぼくたちにとっては遊具であった。旧校舎のすり減った階段を滑り
降りたり、1メートルほどの擁壁が陣地を分けたり、貯水槽の下に潜り込んでオニから隠れたりしていた。こどもにとっては建築も遊具も設備も等しく『あそびの道具』であって、ぼくたちはそんな事すら意識せずにそれらを使いこなしていた。こうした記憶はあの頃
の大切な思い出として今もまだ僕の中に残っている。今回小学校を設計するにあたって、この記憶を参考にすることを考えた。
『結果的に遊具として使われる建築』、ゆうぐの設計である。
ダイアグラム 与えられた敷地は現在も小学校として使われている所で、そこを見に行くことで京都の小学校の規模と実情を知ることができた。ま
ず驚いたのは、プールや体育館を上に内蔵するひとつの壁のような校舎しか無かった事だ。京都という狭い街の中ではこれが普通な
のか、狭い運動場が南にあるものの、ろくな遊具も無く、遊びがいの無い場所に思えた。また、小学校の安全性を確保するために周囲
を塀で囲んだネガティブな要素も見られた。こうした事から、運動場の周りを囲むロの字型のプランを提案した。これで回遊性と安
全性、一体感を同時に高めることができる。また、子供が使いこなす状況を多様に含むために、スラブを大きな階段にして過剰に交差
させた。そこに不揃いにズラされた教室群をはめ込んでゆく。上下する階段状の床と障害物としての教室は様々なひろがりを生み出
してゆく。こどもはそれらを巧みに使いこなし、こちらの予想を遥かに超えたあそびを開発することだろう。
構成 生徒 600名、職員 40 名を想定している。学年を3つのクラスに分け、教室の間にやや広いスペースを設けた。ランダムに開口を持つ教室が外部に雰囲気を柔らかく伝える点、教室間のスペースでの授業も想定している点から、形式はセミ・オープンスクールといえる
だろうか。平面的な配置は完全にランダムに決まっているが、大まかには北に職員の部屋、南に特殊教室と体育館とプール、その間に
一般教室を置いた。外部からの入口は北中央の1つのみであり、通学する生徒はまずそこから校庭へ入る。そこから校庭の周りに設けられた3つの入口で靴を脱いで校舎内に入る。北の両方の角には職員用の駐車場と駐輪場を設けている。室を敷地全体にまんべんなく置いたことと、広い廊下を作ったことから運動場はやや狭くなってしまったが、校舎の高さを抑えること、外部から校庭への視線
の抜けを可能にしたために周辺に対する建築の威圧感を減らすことができた。
小学校の原点とは 一般に、学校建築は経済的な合理性から設計されている。教室の大きさも経済スパンに即して決められ、一列に並べられた教室に細
い廊下と狭い階段が従属している。均等に採光するためにそれが綺麗に南面させて並列されている。こうした合理性は確かに高等学
校や中等学校では問題無いかもしれない。しかし、こどもの成長に大きくかかわり、情操や身体の成長に影響を与える小学校にはもっ
と優先すべきことがあるのではないか。それを探るために従来の主従関係を反転させて設計した。人と人が動的に出会う廊下や階段
を主としたこの建築が、小学校に必要な要素を見出すための手掛かりになると考えている。
E l e m e n t a r y S c h o o l 008
009 11|2012 ― 02|2014
E l e m e n t a r y S c h o o l 010
Site Plan, 1:1,500
011 11|2012 ― 02|2014
1. 従来の校舎の構成教室に廊下が付属し、数ヶ所に階段がまとめられる。
その校舎がいくつか南面して並列される。
合理性による構成。
4. 回遊性を持たせる南面・並列であった校舎群をひとつながりの建築へと変える。
回遊性の向上、一体感の獲得。
中央の運動場は建築に囲まれた安全な場所になる。
2. 動線を先に計画する教室ありきではなく、廊下と階段を優先して設計する。
5. 階段を廊下に組み込む点在する階段を廊下と合体させる。
スラブは大きな階段となり、複雑に交差する。
天井高に変化が生まれ、関係性が複雑になる。
6. 教室を分散的に配置する上下に変化するスラブと水平に変化を与える教室によって内部空間
に多様な場所が生まれる。
3. 廊下を拡張する廊下は教室への通路から、いろいろな可能性を含んだ場へと変わる。
本来の機能を越えて新しい役割を獲得する。
E l e m e n t a r y S c h o o l 012
GL+2500, 1:900 GL+5700, 1:900
1. 普通教室2. 職員室3. 校長室4. 理科室5. トイレ6. 体育館7. 体育倉庫8. プール
9. 更衣室10. シャワー室11. 保健室12. 図書室13. 美術・図工室14. 音楽室15. パソコン室※重複するものは番号を打っていない
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A A
B B
A A
B B
013 11|2012 ― 02|2014
E l e m e n t a r y S c h o o l 014
GL+5700, 1:900 Roof Plan, 1:900
1. 普通教室16. 家庭科室17. 倉庫18. 多目的ホール※重複するものは番号を打っていない
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A A
B B
A A
B B
015 11|2012 — 02|2014
E l e m e n t a r y S c h o o l 016
North Elevation
1
1
West Elevation
Section A, 1:500
Section B, 1:500
017 11|2012 ― 02|2014
South Elevation East Elevation
C o n c e r t H a l l 018
019 06|2013 ― 02|2014
京都・御池通・河原町通の交差点の東北角地に、市民、学生、観光客などが気軽に立ち寄ることのできるコンサートホールを設計する。
現在、御池通は、市民に親しまれ、生活に潤いと安らぎを与え、世界の人々を魅了するシンボルロードとして位置づけられている。交通の便がよく、
終演後も食事を楽しむことのできる街中に、人々が集い、多様な音楽を鑑賞し、場合によっては創作にも参加できる魅力的な施設を創出する。
併せて、御池通、鴨川、東山の山並みといった環境・景観に恵まれた敷地特性を活かして、周辺環境に開かれたコンサートホールのあり方を探求する。
都市劇場 [Concert Hall]
Instructor : Teruyuki Monnai
C o n c e r t H a l l 020
021 06|2013 ― 02|2014
音楽空間のはじまり 京都市内には京都コンサートホールや京都会館など、すでに大きな劇場が存在する。それらのホールは煩雑な市街地からは少し離れ
た場所で上質なクラシックなどを提供している。この劇場はそれらとは異なり、京都の中心部である河原町御池の交差点に建つ小規
模のものであり、想定する音楽はロックやポップスなどのカジュアルなものである。これは、音響性能よりも体験される空気や音楽
との出合い方に重点を置いた設計のためである。もちろん音響性能はコンサートホールにとって重要な指標である。しかし、ホール
を厚い防音壁で囲み、外部との関係を完全に遮断する事で音楽は本来の魅力を喪ってはいないだろうか。元々音楽とは野や原っぱで、
あるいは洞窟で奏でられた音との出会いそのものではなかっただろうか。ある偶然の出会いから始まる音楽には音響性能では測れな
い質が備わっていなかっただろうか。しかし、現在の劇場では演奏中も外部からはその様子を知ることはできず、“会いに来た” 人し
か演奏を耳にできない。このある種の予定調和的な演奏会は他の立派なホールに任せればいいだろう、と考え、このホールでは内部
の雰囲気を外部へと伝えるようなものとした。外へと内部の空気を伝えるこの建築は、大勢の人が無関心に行き交う通りに現れ、音
楽への道案内をすることとなる。観客を巻き込み、無関係な周囲すら引き込んで、この劇場は都市全体へと音楽を発信する。
構成 この建築には800席と200席の大小2つのホールがあり、いずれも地下に埋め込まれている。共通のエントランスが地下1階にあり、交差点から斜面を下ってアクセスする。ホールを地下にしたのは外部との距離感の調整のためと周辺環境からのシークエンスを生むた
めである。ホールは外部からギリギリ覗きこめない位がちょうど良いと考え、ホールの周りに幅3mの通路を付けてステージと外部の距離を調節した。興味を持った人は建築内に入り込み、演奏者と観客を眺めることができる。大ホールではチケットを買った観客
は地下のホールと1階のホワイエを利用し、偶然訪れた人は2階以上のエリアに入ることができる。音楽を体験する度合に差を作り、チケットの有無を質のレベルと対応させている。2階から上にはスタジオやショップなどの音楽に関係する様々な機能を収めている。公演の無い時でもここは利用され、中央の吹き抜け越しに他の部屋と視線が交わる。公演が始まると途端に人の疎密が反転し、劇場
空間が出現する。建築の核は直径600㎜の柱とブレース材で組んだ籠で、その外部に階段、エレベーター、エスカレーター、トイレが備えられ、多数のダクトがまとわりつく。内側には機能を持った不揃いのボックスが取り付けられている。小ホールはその規模のため、
これを大幅に縮小したモデルとなっている。搬入経路を敷地北側に取り、地下 2階に搬入する。この階は出演者が利用するエリアで、大ホールのステージと同じレベルである。楽屋をはじめ、リハーサル室などの裏の部屋はこの階にまとめられている。
都市の劇場 敷地の河原町御池は京都市内では有数の都市的なゾーンである。地下鉄や地下駐車場のインフラ、地下街、莫大な交通量を誇る 2つの通りなど、この建築が都市性を帯びるには十分な要素を持つ。都市における建築の役割には、看板などのように内部をアピールし、刺
激的な事件を提供することがあるのではないかと思う。劇場はそこから限りなく遠い施設のひとつであるが、中で起こることの魅力
は他の用途をはるかに凌いでいる。この劇場を都市に開くとき、都市全体も劇場性を強め、より一層魅力を増すのではないかと期待
している。
C o n c e r t H a l l 022
023 06|2013 ― 02|2014
Structure Model
C o n c e r t H a l l 024
Site Plan, 1:700
025 06|2013 ― 02|2014
Section, 1:300
2nd basement Plans, 1:700 Basement
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1. 楽屋2. リハーサル室3. 荷解室4. 機械室5. 小ホール (200席 )6. エントランスロビー7. 休憩所8. 大ホール (800席 )
C o n c e r t H a l l 026
027 06|2013 ― 02|2014
1st floor 4th floor 5th floor
C o n c e r t H a l l 028
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9. 事務室10. 会議室11. テナント12. 大ホールホワイエ13. ギャラリー
029 06|2013 ― 02|2014
C o n c e r t H a l l 030
West Elevation
031 06|2013 ― 02|2014
C o n c e r t H a l l 032
South Elevation
033 06|2013 ― 02|2014
Prayer Space 034
035 06|2012 ― 02|2014
慈雨の調べ [Prayer Space]
Instructor : Shin Takamatsu
京都市内に任意の敷地を設定し、小規模のチャペルを設計する。
もとよりキリスト教カトリックやプロテスタントなど特定の宗教、宗派のための「チャペル」を想定してもよいが、そのような宗教的な条件にとらわ
れることなく、単に純然たる「祈りの建築」を構想することも十分に可能である。
時に陽を浴び風にそよぐ祝福されつつ祈りを捧げ、時に濃密なる静寂に抱かれて、かすかな灯のほのめきに救いを求める…そのような空間が確かに
存在する。ひとの想いを深々と荘厳する珠玉の建築を構想されたい。
Prayer Space 036
037 06|2012 ― 02|2014
自然への祈り 自然に対する祈りは、人類の最も原始的な営みの一つであり、そこにある思いは全ての人が等しく抱くことのできるものである。し
かしこの感情は人間が科学を進歩させ、自然を征服して都市を拡大するにつれて喪われてきた。いま我々を取り囲む環境は大量生産
された部材から構成される雑然とした街並みであり、所狭しと走る自動車の排気ガスであり、夜でも街を明るく照らす街灯である。
もはやかつてのような自然を感じる場は存在しない。都市は自然と上手く付き合うことに失敗し、完全に制圧してしまった。都市部
に残る僅かな自然にはもう、畏敬の念を抱かせる力は残されていない。だからこそ、さまざまな環境問題が起こり環境への意識が重
視されている今、この自然への祈りを捧げる場を提案したい。
雨の雫 この建築における祈りの対象は雨滴、さらには雨音にまで抽象化された自然そのものである。雨は空から気ままに降り注ぎ、地面に
染み込んで消えてゆく。その間に少し受け止めて我々に自然を体感させるような装置としてこの建築を設計した。雨はどこにでも現
れるありふれたモノだが、そこには人の手によらない降水量、降水時間、リズムがある。それを際立たせることによって都市に紛れ込
んだ自然を再発見することができれば、と思っている。この建築は花崗岩を組み合わせた塊を手で削りだして作られる。そこには機
械生産とは違う、一動物としての人間の痕跡を残すことができるだろう。人間の手に潜む不確定性もまた自然の一部である。上面に
はごくごく浅い雨受け皿を設け、4つの穴を通して内部へと雨水を導く。乾いていた内部に徐々に雨水が溜まってゆき、雨の激しさ
や水位によって時々刻々と音色が変化する。訪れた人は外部の音を遮断された建築内で自然が奏でる音色のみに晒される。暗闇の中、
聞こえるのは雨による水音のみ。極限まで削ぎ落とされた環境の中で初めて、雨の音が特別な意味を感じさせることができると考え
ている。
神泉苑 敷地は京都、二条城の南に位置する神泉苑の中央とした。この神泉苑は平安京遷都と同時期に造営された禁苑であった。西寺の守敏
と東寺の空海が祈雨の法を競いあったという話も残る、雨乞いにゆかりのある場所である。ここを敷地としたのはそうした言い伝え
があっただけではなく、ここにある層的な空間構成により、この建築への距離感を引き伸ばすことができるためでもある。つまり、極
小の建築が聖域となるために重要なのは、そこまでのアプローチに他ならないとの考えである。境内の入口である鳥居から建築まで
の軸上に境界を超える要素―鳥居、橋、社、小橋― が配列されている。これらをくぐり抜ける際に掛かる心理的な負荷が建築を神
聖なものへと変化させる。さらに建築内でも階段を下るという要素を持ち込み、外部との距離を遠ざけた。神泉苑は二条城の造営の
際に大部分を取り込まれて規模を縮小している。現在の神泉苑はまさしく都市に蝕まれた自然の姿を表しているように見える。この
敷地でこの建築が自然の力を称揚する事に大きな意味を感じ、ここを計画敷地に選定した。
Prayer Space 038
039 06|2012 ― 02|2014
Prayer Space 040
Site Plan, 1:500
041 06|2012 ― 02|2014
Plan(Ground level), 1:100 Plan(Basement level), 1:100
Prayer Space 042
Section
East Elevation, 1:100
043 06|2012 ― 02|2014
Prayer Space 044
045 06|2012 ― 02|2014
Study for the Barcelona Pavilion 046
047 11|2011 ― 01|2012
ミース・ファン・デル・ローエによる不朽の名作「バルセロナ・パビリオン」の図面及び模型の作成を通じて、建築の基本的な構成とその美しさ、及び
その論理性を学ぶとともに、得られた成果を一定の条件に基づく習作によって展開する。
― [Study for the Barcelona Pavilion]
Instructor : Shin Takamatsu
Study for the Barcelona Pavilion 048
049 11|2011 ― 01|2012
Barce l ona Pav i l i on 1929年のバルセロナ万博において Ludwig Mies van der Rohe(1886-1969) が設計したドイツ館である。この課題ではまずはこの建築をトレースし、その建築言語を再構成して新たな建築を生み出すことが求められた。それまでは建築とは、例えば壁や床のように手
で触れる事のできる物体であると考えていた。しかしこの建築を読み取ろうとするうちに、それが間違いである事に気付かされた。
柱に支えられた薄い屋根と水平に伸びる壁にまで削ぎ落とされた空間が帯びる独特の緊張感、微妙な距離を持って配置される艶やか
な壁の引力と斥力、色ガラスによって調整された光と闇……むしろこの建築では目に映らない要素こそが主役ではないか。そうした
磁場のように捉えどころの無いものをいかにして計画するのか、設計の裏には常にこの問題が潜んでいることを思い知らされること
となった。
意識を変える装置 兎にも角にも、まずは建築の用途を決めなければならない。そうやってあれこれと考える一方で、壁という要素が気になり始めた。あ
る場所に一枚の壁を立てるという事はそこをどのように変えてしまうのか……。はたしてその場所は以前と同じと言えるのか……。
この疑問を突き詰めてゆく中で、この建築は場所の気付きにくい特性を認識させるための装置となった。四枚の壁を立てて屋根を架
けただけの簡素な装置である。敷地に選んだのはどこにでもあるような溜め池であり、そこをこの装置で少しでも特別な場所である
かのように錯覚させることが目的となった。その目的のもとで壁の配置や屋根の重なり方、階段の位置などが決定されている。ここ
を訪れる人は溜め池のダムから階段を下り、屋根の下へ入る。そこは狭く、暗く、抑圧された空間であり、外との対比によって過剰に
息苦しく感じさせる場所となっている。最も長い壁の向こうへ出ると、溜め池を一望する事ができる。そこでは先ほどの空間との対
比と広がりを強調するトラバーチンの壁の効果によって以前よりも広がりを感じることができるだろう。一連のシークエンスを巻き
込むように配置し、極限まで無駄をそぎ落としたことで、求めた緊張感の一片は得ることができたのではないかと考えている。
原点 紙面に引かれた一本の線は境界面を表し、線に囲まれた一つの領域は量塊を表す。それでいて頭の中に描かれているのは線に囲い込
まれなかった残りの空白である、というものが建築の設計であることを理解した。空間が意識され始めた瞬間である。その空間を含
む建築には敷地があり、敷地には積み重ねられてきた歴史がある。必ず建設前の状態があって、建築はそれを変化させてしまう。どれ
ほど小さな建築であろうと、それが建てられた瞬間に歴史の上に重ねられるという事実からは逃れられない。作られる以前と以後を
比較して、敷地をより良くすることができなければならない。土地の力を味方につけ、一層強められる建築を設計することが設計に
おける義務であるという事だ。こうした認識が今に至るまで私の設計に大きな影響を与えている。この建築が私の出発点であり、決
定的な意味をもつ設計となった。
Study for the Barcelona Pavilion 050
051 11|2011 ― 01|2012
Study for the Barcelona Pavilion 052
Site Plan, 1:7500
053 11|2011 ― 01|2012
Plan, 1:300
Study for the Barcelona Pavilion 054
Section, 1:300
Elevation, 1:300
055 11|2011 ― 01|2012
Study for the Barcelona Pavilion 056
057 11|2011 ― 01|2012
Profile 058
冨岡岳 Gaku Tomioka
P r o f i l e 1 9 9 3 神戸に生まれ、加古川で育つ
2 0 0 8 兵庫県立加古川東高等学校入学
2 0 1 1 京都大学工学部建築学科入学
2 0 1 2 安藤忠雄建築研究所にて一カ月間のアルバイト勤務
2 0 1 4 岸研究室配属
P h o t o C r e d i t 松本直也
Naoya Matsumoto
0 5 1
059 01|1993― 04|2014