「モンゴル時代におけるペルシア語インシャー術指南書」『オリエント』46(2):...

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研究 ノー リエ 46-2 (2003): 197-224 モンゴル時代 における ペルシア語インシャー術指南書 Persian Insha' Manuals in the Mongol Period WATABE Ryoko ABSTRACT In the history of the Persian art of insha' (the epistolary art for the official and private correspondence), the Mongol period (from the 13th century to the later 14th century) has been regarded as an age of stylistic regression between the Saljugid and the Timurid periods. This report, through the analysis of some Persian insha' manuals written in the Mongol period, throws light on the continuity and development of the Persian insha' tradition under the Mongol rule, and how it coexisted with the Mongol chancellery system. In the insha' manuals of the Mongol period, it is observed that the way of Persian letter-writing had become more complicated since the Saljugid period. The structure of ideal letters explained in some manuals in the 14th century was more fractionalized than that in those of the 13th century and very similar to the style in the Timurid period. Even some forms that had been considered incorrect became predominant during the period in order to show extreme respect to distinguished addressees. Even under the rule of the Mongol chancellery, the writers of insha' manuals kept the traditional forms of drafting official documents, concentrating on genres of documents which needed the literary skill of insha , like deeds of appointment to reli- gious ranks. At the same time, for many literates, writing of insha' manuals was regarded as a suitable way to display their literary skill and to win their patrons' favor. On the other hand, the insha' writers understood some concepts of the Mongol chancellery in the context of their own insha' tradition and accepted a portion of them positively. For example, the practice of Mongol edicts of writing words with holy or royal referents jutting into the upper margin was very agreeable for them because of its similarity to the convention of Persian letter writing that the name of honorable persons must be written in the upper part of letters. They adapted it by writing honarable words jutting into the right margin. We can conclude that under the Mongol rule the Persian insha' tradition continued developing and prepared for the flowering of the art in the Timurid period. *日 本 学術 振 興会 特 別 研 究員 ・東 京大 学 Research Fellow of the Japan Association for the Promotion of Sciences The University of Tokyo

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研 究 ノ ー ト オ リ エ ン ト 46-2 (2003): 197-224

モ ンゴル時代 における

ペル シア語イ ンシャー術指 南書

Persian Insha' Manuals in the Mongol Period

渡 部 良 子

WATABE Ryoko

ABSTRACT In the history of the Persian art of insha' (the epistolary art for the

official and private correspondence), the Mongol period (from the 13th century to

the later 14th century) has been regarded as an age of stylistic regression between

the Saljugid and the Timurid periods. This report, through the analysis of some

Persian insha' manuals written in the Mongol period, throws light on the continuity

and development of the Persian insha' tradition under the Mongol rule, and how it

coexisted with the Mongol chancellery system.

In the insha' manuals of the Mongol period, it is observed that the way of Persian

letter-writing had become more complicated since the Saljugid period. The structure

of ideal letters explained in some manuals in the 14th century was more fractionalized

than that in those of the 13th century and very similar to the style in the Timurid

period. Even some forms that had been considered incorrect became predominantduring the period in order to show extreme respect to distinguished addressees.

Even under the rule of the Mongol chancellery, the writers of insha' manuals kept

the traditional forms of drafting official documents, concentrating on genres of

documents which needed the literary skill of insha , like deeds of appointment to reli-

gious ranks. At the same time, for many literates, writing of insha' manuals was

regarded as a suitable way to display their literary skill and to win their patrons' favor.

On the other hand, the insha' writers understood some concepts of the Mongol

chancellery in the context of their own insha' tradition and accepted a portion of

them positively. For example, the practice of Mongol edicts of writing words with

holy or royal referents jutting into the upper margin was very agreeable for them

because of its similarity to the convention of Persian letter writing that the name of

honorable persons must be written in the upper part of letters. They adapted it by

writing honarable words jutting into the right margin.

We can conclude that under the Mongol rule the Persian insha' tradition continued

developing and prepared for the flowering of the art in the Timurid period.

*日 本学術振興会特別研究員 ・東京大学

Research Fellow of the Japan Association for the Promotion of Sciences

The University of Tokyo

は じ め に

本 稿 の 目的 は,13-14世 紀 モ ン ゴ ル 支 配 期 に お け る伝 統 的 ペ ル シ ア 語 イ ン シ ャー 術

('ilm-i insha',fann-i insha')の 状 況 につ い て,指 南 書 の形 式 を取 る イ ン シ ャ ー作 品 を通

し考 察 す る こ とで あ る。

近 年,ペ ル シア 語 イ ン シ ャー 術 とイ ンシ ャ ー作 品 に 関す る研 究 は,注 目 すべ き展 開 を

見 て い る。 イ ン シ ャー(語 根nsh',原 義 は創 造)と は,簡 単 に定 義 す れ ば書 記 の 文 書 作

成 術,書 簡 術(tarassul),技 巧 的散 文 術 で あ る。 イ ン シ ャー 作 品 とは,イ ン シ ャ ー術 に

関す る文献,技 術指南書や模範 的公文書 ・書簡用例集 な どを指す。技巧的文書 ・書簡術=

インシャー術の独 自の文学的 ・知的性格 に着 目 し,イ ンシャー術 ・作品研究の基礎 を築

い たの はH.R. Roemerで あ るが,1990年 代 以 降,F. Mojtaba'i,H.Rajabzadeh ,J.

Paulら に よる 『イ ラ ン学 百 科 事 典EIr』 の項 目(書 簡 通 信 ・イ ン シ ャー)を 通 して,ペ

ル シ ア語 圏 に お け る伝 統 的 書 簡 作法 の 高度 の発 達 と,知 識 人 の 必 須 教養 と して の そ の 重

要 性 を,改 めて確 認で きるようにな った。 また,サ フ ァヴ ィー朝 外交 通信(imperial

tarassul)を インシャー術の観点か ら分析 したC.Mitchellは,11世 紀セル ジューク朝 期

以降発達 し15世紀 ティームール朝期 に頂点 に達 したペル シア語イ ンシャー術 の伝統 的技

巧 がサファヴ ィー朝期の外交文書に受け継がれ ていることを,イ ンシャー作 品 と文書 史

料 の綿密な比較 に より実証 し,書 記の文書作成術 としての インシャー術 が文学的素養 と

不可分 であったこ とを強調す るとともに,サ ファヴィー朝期 までのペルシア語イ ンシャ

一術発展 ・変遷史 をあとづ けた。この ように,「筆の人」(特にイラン高原 ・ペル シア語 圏

では,ト ル コ系遊牧支配層 を補佐 するイラン系定住民系官僚Tajik)の 官僚技術で あ り,

文学的素養 とい うインシャー術の文化 史的位置づ けが多面的 に明 らかにされる とともに,

従来行政 制度史研 究などに部分的に利 用されるのみで あったイ ンシャー作 品を,ペ ル シ

ア語圏 におけ る共通文化の研究 に活用 してゆ く基礎が整 えられて きているので ある。

しか し,イ ンシャー術研究が文書行政研究,文 化史研究 として新 たな可能性 を開 きつ

つ ある一方で,そ の材料 となるインシャー作品の分析 は実はそれほ ど進 んでお らず,各

時代 におけ るイ ンシャー術の傾向や特色,知 識人文化の中でイ ンシャー作品が担 った役

割 を具体的に明 らかに し,時 代 ごとの変化や伝統の継承 を比較検討す るための基礎 が整

えられていない とい う問題 も,ま だ残 されている。そ してこの問題が端的 に現れてい る

のが,13-14世 紀 モンゴル時代であろ う。モンゴル時代のイ ンシャー作品の発掘や刊行 は

近年着 実に進んで きている ものの,こ れ まで主 な分析の対象 となってきたの はRashid

al-Din書 簡 集や 」Dastur al-Katib(以 下,Dastur)な ど,限 られ た著 名 な作 品 の み で あ る。

そ して,こ れ らの 作 品 に見 られ る文体 の簡 潔 さ は,簡 潔 な散 文 体 が 志 向 され た とい う文

学史一般のモ ンゴル時代 の評価 と相 まって,モ ンゴル時代 を華麗で技巧的なイ ンシャー

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術 を発達 させたセル ジューク朝 とテ ィームール朝期の間の文体面での 「逆行」の時代 と

捉 える見方 も示 されてい る。

しか し,こ の時代 には,セ ル ジューク朝 ・ホラズムシャー朝期か ら時代が下 って写本

の現存状況が良 くな って いることもあ り,か な りの数の未紹介の インシャー作品が残 さ

れている。つ ま り,モ ンゴル時代 は,伝 統 的インシャー術の技巧 自体が軽視 されて いた

とは考 え られず,こ れ らの未調査史料 を検 討するこ とによ り,モ ンゴル時代 をペル シア

語 インシャー術の最初の成熟が史料上 で確 認 しうるセル ジューク朝 ・ホラズムシャー朝

期 と,数 多 くの著名なイ ンシャー作品が著 されたテ ィームール朝期 を結びつ ける,過 渡

期 として捉 え直す こ とが可能で はないか と推測 される。

また,ペ ル シア語 インシャー術史におけ るモ ンゴル時代 に着 目す る意義 は,他 にもあ

る。 それは,こ の時代 に実際の文書行政 を支配 したモンゴル文書発行 システム と,伝 統

的イ ンシャー術の かかわ りで ある。伝統 的イ ンシャー術が モンゴル文書行政 とどの よう

に共 存 し,モ ンゴル命令文の理念や形式 を理解 し取 り入れ ていたのか という問題 は,そ

の後 の トル コ ・モンゴル的要素のペル シア語文書術への影響 を考 える上で も,具 体 的な

検 討を要 する問題 である。

そこで本稿 では,初 期の インシャー作 品につ いて最 も詳 しい情報 を残 すM.T.Dani-

shpazhuhの 目録 を手がか りに,モ ンゴル時代 のイ ンシャー作品か ら,特 に指 南書形式 の

作品(本 稿 では,イ ンシャー術指南書,ま たは指南書 と呼ぶ)を 取 り上 げ る。インシャ

ー作品の形 式は多様 であるが,本 稿が着 目するインシャー術指南書 とは,文 書書記の技

術 を称揚 し,書 簡 ・公文書作成の作法や用例 を示す作品で ある。その中には形式的 ・理

想論的叙述 も多いが,イ ンシャー術 ・書簡作法 は如何 にあるべ きか とい う明瞭 な主張 を

持つため,書 簡 ・文書術 に関 しある時代 に共有 され た理念 を取 り出すには最 も相応 しい

史料であ る。モ ンゴル時代の指南書 として広 く知 られ,分 析 の対象 となって きたの は上

述の ジャライル朝期 のDasturほ ぼ1点 のみで あるが,筆 者 は旧稿で,Dasturが 伝統的イ

ンシャー術の理念 を踏 まえなが らも,イ ルハ ン朝期 に存在 した と考 え られる公文書フ ォ

ーマ ッ ト集 と共通す る性格 を持 ち,ジ ャライル朝文書行政 の実務 的要請 に応 えたやや特

殊 な作品であ ることを指摘 した。本稿では,現 存す るその他のモ ンゴル時代 インシャー

術指南書 を,Dasterの 独 自性 と比較 しつつ可能な限 り綱羅 的に分析 し,モ ンゴル支 配期

に伝統的書簡術は どの ような状況 にあ ったのか,ま た指南書の中で,モ ンゴル文書行政

はどの ように捉え られていたのか を考察するこ とを試み る。ただ し,刊 行 されてい る作

品は1部 であ り,現 在 までのところ所在不 明 ・閲覧不可能の写本 もあったため,現 存が

確認 され る全作品 を調査 するには至 らなかった。 その点 を,予 め断 って おきたい。

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Ⅰ.モ ンゴル時代におけるインシ ャー術指南書 と伝統的書簡術の叙述

ペルシア語で インシャー術関連の作品が編纂 され始 めたのは,ペ ル シア語 を行政 語 に

採 用 したガズナ朝期以降 とされ ている。 しか し,モ ンゴル 時代 以前 の指 南書形式 の作 品

は,現 存 最 古 のDastur-i Dabiri (12世 紀 後 半,以 下,Dabiyi)の 他,ご くわ ず か しか残

されていない。 ま とまった数 のインシャー術指 南書を最初 に見 るこ とがで きるようにな

るの は,モ ンゴル侵 入後 の13-14世 紀 にな る(表1)。 本節では まず,こ の時代 の現存指 南

書作品の成立時期 ・場所 ・作 品傾向 を概観 し,こ れ ら指 南書 で,伝 統 的書簡術 が どの よ

うに解説 されてい るのかを検討す る。

Danishpadhuhは,13-14世 紀 の指 南 書 作 品 と して20作 品 を挙 げ て い る。 こ の う ち4点

はル ー ム ・セ ル ジ ュー ク朝 の伝 統 を 引 くア ナ ト リアの 作 品(文 人Khu'iの 指 南書)で あ

る。残 り16点の うち,現 在筆者 が確認 で きていないものが5点 あ るが,そ の他11点 は,テ

ィームールがイラ ンを征服 し,中 央 アジア ・ホ ラーサ ー ンに政治的 中心が移行す る前の,

西のモ ンゴル政権 イルハ ン朝支配の影響 をこうむったイラ ン高原(1部,中 央ア ジア)

で編纂 された ことがほぼ確定 しうる作品で ある(こ れに,Danishpazhuhが 収録 していな

い簡略版1を 加え,全12点=表Ⅱ,以 下の作品略称 は同表 を参照)。

まず成立時期 ・成立地 を見 ると,イ ルハ ン朝期,中 央有 力者 に献呈 された作 品4 (3+

簡 略 版1: Sahibiya,Jalaliya,Sa'adat/簡 略 版Sharafi),地 方 政 権 君 主 に献 呈 され た 作

品1 (Nusratiya),成 立地 不 明1 (Miftah)。 イル ハ ン朝 崩壊 後,地 方 政 権 分 立 時 代 に編

纂 され た作 品 が5 (4+簡 略版1:ム ザ ッフ ァル朝=Baha'i, Qawanin,ジ ャ ライ ル朝=

Dastur/簡 略版Irshdd,成 立 地 不 明.推 定 中央 ア ジア=Lata'if)で あ る。 この 他,正 確 に

は イ ン シ ャー 術 指 南 書 で は な い が,イ ー ンジ ュ ー朝 に献 呈 され た 学 術 百科 事 典.Nafa'is

に も,イ ンシャー術(fann-i insha')を 解説す る章がある。

次に,作 品の性質 ・傾 向 を見 てみる(表Ⅱ お よびⅢ)。作品 はまず,書 簡 ・文書術指 南

書 と,財 務 ・法文書作成術 を含 む総合的書記術指 南書 に大 きく分 けられ る。書簡 ・文書

術/財 務術/法 務術 は広義の書記術(kitaba)と して一体であ り,特 に文書術/財 務術 は

書記業務 の2柱 で ある。 しか しモンゴル時代,財 務術指南書 は独立 した ジャンル を形成

してお り,限 られ た現存作品を見 る限 りだが,総 合的書記術指南書は主流 とはいえない。

ただ し,文 書 ・財務 ・法務 を扱 う指南書 は,後 の時代 に も少数派なが ら絶え るこ とな く

編纂 されている。

多数派 である書簡 ・文書術指南書 は,書 簡術(私 信,お よび君 主間の外交通信 などの

公的通信 に関わる)・公文書作成術(命 令書 ・行政文書起草術)の 双方を扱 うもの と,書

簡術のみを扱 うものに分かれ,主 に序 と して書 記術論,イ ンシャー術論 を扱 う章 を持つ。

書記術論は,書 簡作成における作法上 の注意,特 に書簡 冒頭部の受取 人のラカブ(laqab,

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こ こで は 書 簡 で 用 い る尊 称 ・美 称)・ ドゥア ー(du'a',祈 願 句)の 用例 を供 給 す る マ ニ ュ

アル的な ものが主だが,観 念 的な書記術論 ・インシャー術論 を展開す る もの もある。

その他,や や性格 を異 にす るのは,文 学的性格 の顕著 な作 品である。Baha'iは 書簡 の

主題 に即 して引用すべ き技巧 的表現 ・特 に韻文 を蒐集 した ものであ り,作 者 自作 を含む

膨大な量のアラ ビア ・ペルシア語詩 を,20章 に分 け編纂 してい る。指 南書 とい うよ り,

詩集 に近い。

この ような指 南書のヴ ァリエーシ ョンは,特 にこの時期 に固有の ものではな い。現存

作品が ある程度の数 にな り,13世 紀 まで に発達 していたペル シア語 イ ンシャー術指 南書

の種 々の伝統的形式 を,見 るこ とがで きるようになっているというべ きだろ う。

それで は,こ れ らの指南書 で,モ ンゴル時代の伝統的書簡術は どの ように示 されてい

るのだ ろうか。

Mitchellは,ペ ルシア語書簡の形式 をめ ぐる基本的理念は,11世 紀以 降ほぼ変化 を見

て い な い こ と を指摘 して い る。 しか しなが ら,書 簡 作 成 法 の 捉 え方 に お い て,テ ィー ム

ール 朝 時 代 に連 続 す る変 化 が 生 じて い る こ とが ,こ の 時 期 の 指 南書 に は窺 わ れ る。

ペ ル シ ア語 書 簡 作 法 の 基 本 は,書 簡 差 出人(katib)・ 受 取 人(maktub ilai-hi)の 地 位

の差 を厳 守 した 冒頭 部祈 願 文 に始 ま り,挨 拶(tahiyat).愛 慕/忠 誠 の表 明(ishtiyaq/

ikhlas)・ 蓮遁 の 希望(tamanna')を 経 て 本題 に入 り,結 句(ikhtitam)に 至 る とい う書

簡構 成 で あ る。 受 取 人 の 長 寿 ・栄 華 を祈 る祈 願 文 形 式 を と る冒 頭部 で,受 取 人 へ の呼 び

か け(ヒ タ ーブkhitab)を そ の地 位 に相 応 しい ラ カブ ・ドゥア ー で構 成 し,敬 意 を表 明

す る。 次 い で差 出人 を主 語 と した挨 拶 ・愛 慕 の 表 明 に よ り,受 取 人 に対 す る差 出人 の 地

位 を明示 する。この形式は12世 紀のDabiriで すでに示 され,そ の後13世 紀 までの指南書

も,書 簡 術 の解 説 を特 に 冒頭 部(sadr-i nama)に 注 いで い る。 モ ン ゴル 時 代 の 指 南 書 の

多 くもほ ぼ こ の形 式 を踏 襲 し,sadr-i nama,sar-i nama(書 簡 冒頭),khitab wa du'a'/

algab(ヒ タ ー ブ と ドゥア ー/ラ カ ブ),ad'iya(祈 願),matali'(開 句),或 い は単 にnama

(書 簡)と して,冒 頭 祈 願 文 の 書 き方 に議 論 ・用 例 提 示 の 中心 を置 い て い る(表 Ⅲ 参 照)。

Dasturの 作 者Nakhchiwaniが 簡 略 版Irshddを 編纂 した時,位 階 ご との 冒頭 部(khitab

wa algab)と 本 文(ahwal)の 用例 が一 体 と な った 第1部 「書 簡(maktubat)」 を分 解 し,

冒頭 部 の み の章 を 設 け たの は,同 時代 の指 南 書 の 慣 習 に従 っ た のだ と考 え られ る。

しか し,14世 紀 に な る と,異 な る形 式 の指 南書 が 出 て くる(Miftah,Lata'if)。 基 本 的

理 念 は変 わ らな い が,冒 頭 部 とい う概 念 を用 いず,書 簡 往信(khitab)・ 返 信(jawab)

を 開 始(ibtida')か ら結 句(ikhtitam)ま で10数 の 部 位 に分 割 し,各 部 位 に受 取 人 の

位 階 に即 した 多 数 の 用 例 を供 給 す る もの で あ り,こ れ は15世 紀 のManazir al-Inshd',

M-akhzan al-Insha'(以 下,Mandzir,Makhzan)の 書 簡 構 成 の捉 え方 とほ ぼ 一 致 す る(表

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Ⅳ)。Manazirは 書 簡 が12~14柱(rukn)か らな る こ と をす で に定 ま っ た こ と と捉 え て い

るが,そ の発達 は14世 紀 に認 め られる。

また,テ ィームール朝期 に連続 す る変化 として,受 取人への敬 意 を過剰 に表明 しよう

とす る傾向が書簡作法 の常識 を踏 み越 える現象,す なわ ち冒頭部ペル シア語祈願文 中の

受取人のラカブに,さ らにアラ ビア語の ドゥアー を添 える祈 願の重複が ある。14世 紀の

指南書では ドゥアーの重複に対 す る評価 は割れ てお り,Jalaliyaは この慣習 に対 し,敬 意

を払われなかった と誤解 す る受取 人の無知 に対処す るためだ と強い慨 嘆 を示 して いる。

しか し,15世 紀のMakhzanは,ド ゥアー重複の誤 りを警 告する一 方で,近 年で はそれが

敬 意 をい や 増 す こ と(mazld-i hurmat)と 考 え られ て い る と も述 べ て い る。

ま た,冒 頭 部表 現 が 過剰 に な る一 方 で,逆 に 冒頭 部 を簡 略 化 す る とい う習慣 も,こ の

時 代 に見 られ る よ うに な る。

「この 時 代 に見 られ る変 化 の1つ で あ るが,以 前 は冗 長 さ(itnab)と 晦 渋 さ(inghilaq)

の方 を向 き,書 簡 冒頭 の表 現 や 比 喩('ibarat wa tashbib)が 極 め て 多様 化 して い た 。[中

略]今 は簡 潔 の 方(ijaz wa idah)を 見 て い る。[中 略]可 能 な 限 り用件 を書 くこ とに つ

とめ,書 簡 冒頭 で ラカ ブ に着 手 す るこ とか ら顔 を背 け,受 取 人 の ラ カ ブや 名前(ism)を

挙 げ る際 述 べ られ る ドゥア ー で満 足 す る まで に な って い る」

冒頭 部 重 視 の 流 れ か らす る と意 外 な現 象 だ が,こ れ はMakhzanの 示 すdu'a'-i magbul

(容認 され た祈 願),du'a'-i ashal(よ り簡潔 な祈 願)に ほ ぼ相 当 す る。magbulと は受 取

人 を讃 え る形 容(sifat)を 書 き表 す こ とが で きな い もの と して省 略 す る方 法 で あ り,ashal

もsifatを 用 いず 冒頭 部 を ラカ ブ(こ の 場 合 は 受取 人 の持 つ 正 式 な 称 号)と ドゥア ーの み

で 書 く。14世 紀 には ラ カ ブ省 略 は ま だ新 しい 現 象 と して否 定 的 に捉 え られ て いた が,テ

イー ム ール 朝 期 に は許 容 しう る(magbul)作 法 と して 定着 して い た の で あ る。

この よう に,イ ン シ ャー 術指 南 書 か らは,モ ン ゴル 時代 の書 簡 作 法 の 細 目が13世 紀 か

ら さ らに発 達 を見 て お り,テ ィー ム ール 朝 期 に引 き継 が れ て い た こ とが 窺 われ よ う。 っ

け加 え て お く と,中 央 ア ジア で編 纂 され た と考 え られ るLata'ifは,Makhzanの 参 照 文献

の1つ となって いる。小 さな例 だが,モ ンゴル時代 のイ ンシャー術が,テ ィームール朝

期に継承 されていることの確 実な1事 例 である。

Ⅱ.イ ンシャー術指南書編纂 の文化的背景

モ ンゴル文書行政 システム(厳 格 な書式 を持つ命令文 のモンゴル語 による起草,発 令

対象地言語へ の翻訳)は,イ ラン高原のモンゴル政権 で も行われ,恐 ら くペルシア語文

書 起 草 と併 用 され て い た と考 え られ る。イル ハ ン朝 内部 に いた 力Jalaliyaの作 者 は,ほ とん

どの 命令 書(amthila wa manashir)が モ ン ゴル 語 で書 か れ,雄 弁(balagha,fasaha)

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を要 しない と明言 している。

現実の文書行政 において新 たな言語 ・書式 が導入 され,従 来の伝統的文書作成術 の活

躍の領域が相対的に限定 された状況下,何 故 これ らインシャー術指南書が編纂 され続 け

たのか。本節では,指 南書 が編纂 された背景 を検討す る。

第1に 確 認 してお くべ きことは,イ ンシャー術指南書 と,現 実の文書行政の 関わ りか

たで ある。モンゴル政 権の公的イ ンシャー術指南書 としての性格 を色濃 く持つDasturと

その他の指南書の比較 を通 し,こ の問題 を検討 しよう(表Ⅴ 参照)。

偶然で あるが,公 文書用例 を扱 う指南書 のほ とんどが,モ ンゴル政権(ま た はその 内

部の有力者).勢 力に直接 関わった/接触 を もった作者 による。 これ ら指 南書の公文書用

例 には,Dastur以 外 に もモンゴル帝国の君主の命令た るヤル リグ(yarligh,聖 旨)の 語

を用 い て い る もの が あ り(Jalaliya,Nusratiya),ま た 当 時 の史 料 に見 え る行 政 の 現 実 が,

あ る程 度 反 映 して い る形 跡 が 見 て取 れ る(Nusratiyaの 徴 税 請 負mugata'a任 命 文 書/

Nafa'is収 録 任 命 文書 の地 方 知事 職hukumat wa mutasarrifiと い う官職 の 呼 称/イ ル ハ

ン朝 の給与 システムであ る年金idrar給 付命令書の多 さ)。

しか し,69種 もの公文書用例 を収録 し行政便覧の性格 も持つDasturと 比較 す ると,他

の指南書 に収録 された公文書用例 は,地 方知事 ・デ ィー ワー ン官職 ・宗教 諸職 な ど高位

官職 の任命文書 ・征服文書(fath-nama)・ 和平文書('ahd-nama)に ほぼ限 られる。作 品

の規模 に もよるが,セ ル ジューク朝 の行政組織 を反映 したアナ トリアの指南書 と比較す

ると,扱 われ る用件が一般的であ るこ とが 目立つ。圧倒的 に多いのは宗教 諸職 であ り,

軍事職 は極め て少な い。 また,モ ンゴル命令文の 冒頭書式の1つ である発令対象者の列

挙(「 ……よ知れ」)は,Dastur以 外 どの指南書 も採用 していない。

このこ とはまず,恐 ら く指 南書 が,モ ンゴル文書行政 システムが関与 しなかった分野

の公文書用例 に関心 を向けた ことを示 していよう。宗教 諸職 に関す る命令書 は常 にモ ン

ゴル語で起草 され たとは考 えに くく,Dasturも 宗教諸職 関連文書 には上記の モンゴル的

な発令対象者列挙の書式 を一切用 いていない。一方,Jalalayaが 収録 している公文書 は,

征服 文書 ・年金給付以外すべて宗教諸職関係で ある。

しか し,そ もそ もイ ンシャー術指南書の公文書起草術への関心 は,高 官 の任命文書,征

服文書 ・和平文書な ど,伝 統 的作法 と文章技巧 を要する分野 に集中 してい ることに,注

意 しなければな らない。特 に,官 職 と官職受領者の美徳 を讃 える序文が格調高い表現 を

要 す る高官 の任 命 文 書 は,し ば しば序 文 の みが 取 り上 げ られ,こ れ は,JalaliyaやNafa'is

で も踏 襲 されている。つ ま り,一 定 の伝統的作法 と適切 な表現 を要す る文書の用例 を示

す ことが,指 南書の公文書用例 の 目的 なので あ り,こ のような指南書の伝統 は,文 書行

政の変化に もさほど影響 を蒙 らなかったので ある。

203

第2に,イ ンシャー術指南書が,文 学的 ・学術的著 作 としての一面 を持つ こ とで ある。

Baha'iが 書簡 に用 いる韻文集で あることにはすで に触れたが,他 に も書簡術 という分野

を借 りて文学的創 作 を行 って いる作品があ る。Qawanin,Nusratiyaは,公 文書や書簡

用例 とともに,書 簡 に適 した詩,そ して前者はペル シア語のみで書 いた書簡,後 者 は恋

文 とい う技 巧的 書簡 を収 録 している。文学 的要素の強 い指 南書 はむ しろ よ く流布 し,

Baha'iは16世 紀 ま で7写 本 が 現 存 して い る。 また,,Jalaliyaの 第1部 「学 術 的議 論(ma-

bahith-i'ilml)」 は,ア ラ ビア 語 ア ダ ブ文 学,修 辞 学書 か らの 引用 を多 用 した,ペ ル シア

語では前例 のない本格的 インシャー術論であ る。そのア ラビア語修辞論 な どはペルシア

語書簡作成 に直接 関係 のない ものだが,こ の作品は同時代 にかな り評価 を受けた ようで

あ る。Dastirr,Lata'ifの イ ン シ ャー術 論 は,Jalaliyaか ら直接 ・間接 的 な影 響 を受 け て い

る。

第3に 指摘 すべ きこ とは,こ れ らの指南書の多 くが,有 力者への献呈 を 目的に編纂 さ

れ た こ とで あ る。イル ハ ン朝 で はSawaji家,Faryumadi家(ま た 可 能性 と して,Juwayni

家)と い う有 力 官僚 一 族 が 作 品 の 献 呈 先 とな って お り,そ の他,地 方 政 権 君 主 ・有 力 者

の 庇護 が,作 品編 纂 の契 機 とな って い る。 テ イー ム ール 朝 期 の イ ン シ ャ ー作 品が,首 都

ヘ ラー トに お け る文芸 庇 護 と文 才 を競 い 合 う風 潮 の 中 で編 まれ た こ と は久 保 一 之 が 指 摘

して いるが,モ ンゴル 時代 において も,庇 護 者への作 品献呈が インシャー術指南書編纂

を導 く大 きな動機 であったこ とは,留 意すべ き点で ある。Lata'ifの作者 は,放 浪の中に

過 ご していた彼 を故国へ戻 して くれたパ トロンに,何 らかの著作の献 呈 を望んでいた と

ころ,偶 然会話の折に書簡術 に関す る著作の執筆 を求 め られ,そ れ に応 じたとい う。

献呈が確認で きない作 品の編纂経緯 は,「友人」 「識者」 に請われて,と い うものであ

るが,こ れ は指 南書編纂動機 を語 る常套表現の ようである。 自分 は非才で あるが周囲に

請われ て(或 いは庇護者の命で/恩 に報 いるために)や むな く作 品を著 した,才 あ る人の

修正 を願 う,と い う言葉は指南書の序言で しば しば語 られ るが,こ れは換言すれば,イ

ンシャー術指南書が,書 簡術 という最 も高度な散文技巧 によって,自 らの文才 を世 に問

う手段 で もあった ことを示 していよう。

これ らの ことか ら明 らかになるの は,イ ンシャー術指南書が生みだ され る要因が,政

庁における文書起草実務上 の必要 を越 えた より広 い文化的要求,す なわち書簡術 をめ ぐ

る文学 的 ・知的関心や,作 品の編纂 ・献呈に より庇護や名声 を獲得 しようとする文人 た

ちの営みの 中に根 ざ していたこ とで ある。それゆえ,モ ンゴル文書行政 に よる変化の下

で も,イ ンシャー術指南書 は何 ら障害 な く編纂 され続 けることがで きたのである。

ただ,指 南書 を離れ この時代 のインシャー作品編纂 の動向全体 を見 た場合,公 文書用

例 を主 とする模範作 品集が,Dastur以 外 に現在 の ところまった く確認 で きないことが指

204

摘 で きる。文書庁長官の起草 になる公文書 ・書簡の集成 がイ ンシャー作 品の基本 をな し

ていたセル ジュー ク朝 ・ホラズム シャー朝 期,あ るいは同時代 で も様 々な公文書 ・公的

書簡 の集成が残 されてい るアナ トリア と,こ の点が大 きく異 なる。特 に公的通信の場で

のイ ンシャー術 に着 目す るMitchel1の 論 を補足す るならば,モ ンゴル時代 のイ ンシャー

術 の研鐙 は,相 対的 に個 々の知識人の私 的な領域 に留 まった とも考 えう るだろ う。

Ⅲ.モ ンゴル文書行政 とペル シア語書簡術

では,モ ンゴル文書行政が もた ら した変化は,イ ンシャー術指南書 の中で どの ように

受け止め られていたのか。

既述の ように,指 南書作者 たちの一部は,モ ンゴル政権 ・勢 力 と何 らかの接触 を持 っ

ていた。彼 らはモンゴル命令文の威光 をその 目で見 たはずであ り,何 らかの形で その観

念 を理解 しなけれ ばならなか ったと思われ る。指 南書の モンゴル文書行政 に関す る言及

はご くわずかであるが,そ こには,指 南書作家たちが,モ ンゴル命令文の理念の一部 を

伝統的書簡術 との対比で理解 ・吸収 していたこ とが見 て取れ る。

モ ンゴル命令文の理念 にお いて,ヤ ル リグは本来大カー ンのみが発す ることがで きる,

他 の 命 令 とは別 次 元 の 絶 対 命 令 で あ った 。モ ン ゴル 政 権 に直 接 関 与 したDasturは,そ の

公 文 書 用例 を一 括 して 「命 令 書(ahkam)」 と称 して い る が,簡 略 版Irshadを 編 纂 す る

に あた り,「 ヤ ル リグ の 命令 書(ahkam-i yarligh)」 「ア ール ・タム ガ ー(朱 印)の 命令 書

(ahkam-i al-tamgha)」 の文 書 分 類 を設 けて い る(表Ⅴ 参 照)。 ア ー ル ・タ ム ガ ー の命 令

書 に分 類 され た文 書 用 例 は,内 容 が 主 に デ ィー ワ ー ンの 裁 量 に属 す る と思 わ れ る問題 で

あ る こ と,ま た 文 中 に ヤル リグの 語 を用 い て い な い こ とか ら(単 に 「命 令hukm」),ヤ ル

リグ と は峻 別 され るデ ィー ワー ン文 書 を指 す と考 え られ,Dastur作 者Nakhchiwaniが

イラン高原におけるモンゴル文書行政 に極 めて忠実であ った ことを示 している。

しか し,他 の公文書用例 を含む指 南書は,一 部 はヤル リグの語を用例 文中に用 いてい

る とはいえ,勅 令 または行政文書 を意味す る術 語 としてはお もにmanshur,mithalの 語

を採用 してい る。manshurは 勅令特 に任命文書 を,mithalは 君主以外の権力 から発行 さ

れ る命 令 書 を指 す。次 のLata'ifの 記 述 は,ヤ ル リグ を頂 点 とす るモ ン ゴル 命 令 文 の カ テ

ゴ リー が,伝 統 的 文書 術 と衝 突 す る もの で は な く,従 来 の 文 書分 類 の 中 で充 分 に理 解 し

うる もの だ っ た こ とを示 して い る。

「manshurと は,過 去 に はカ リフ や スル ター ンの特 別 な トゥグ ラ ー(tughra'-i khass)

で飾 られ た 命令 書(ahkam)の こ と を言 った。 モ ン ゴル 支 配 時代(zaman-i hukumat-i

Mughul)に は,そ れ をヤ ル リグ と呼 んで い る。ア ミー ル ・ワズ ィール ・地 方 君 主(muluk)

の命 令 書 は過去 に はmithalと 呼 ん で いた が,モ ン ゴル 時代 に は その[種 の命 令 書 で]朱

205

(al)[の タ ム ガ ー]を 捺 した もの をal-tamghaと 言 っ て い た。緑 青 色(zangar)を 捺 し

た もの をkuk-tamghaと 名 付 け,黒(siyahi)を 捺 した もの は す べ てgara-tamghaと 名

づ け た。 タム ガ ー が 無 くた だ署 名(tawqi'wa nam)が な され た もの を す べ てmithalと

呼 ぶ の で あ る。 この 慣 習 と術 語('uruf wa istilah)は,現 在 で も使 わ れ て い る」

Latd'ifは 高 位 の 官 職 の 任 命 文 書 をmanshur,下 部 組 織 に 属 す る 官 職 の 任 命 文 書 を

mithalと 使 い分 けて い るが(表Ⅴ),他 の 指 南 書 に同 様 のmanshur,mithalの 意 味 の使

い分 け が共 有 され て い るわ けで は な く,モ ンゴル 命 令 文 の文 書 カ テ ゴ リー に対 応 した定

訳 と して これ らの 語 が 流 通 して い た とは考 え られ な い。 しか し,他 の 命 令 と峻 別 され る

ヤ ル リグ の 絶 対 性 を理 解 し よ う とす る時,mithalの 上 位 に あ るmanshur(ま た は

farman)と 重ね合 わせ るこ とで,そ れ は可能だ ったのであ る。

同様 に,伝 統的書簡術 との対比 において,こ ち らは指南書作家が積極的 に評価 したと

推 測 しうるモンゴル命令文の理念が,「抬頭」 である。

神 ・ヤル リグなど聖 なる語 を改行に より常に行 の最上位 に,他 行 よ り突出 させて置 く

抬頭 は,モ ンゴル時代 の公文書 の顕著 な特徴で ある。B.Fragnerは,抬 頭 をペル シア語

勅令形 式に後 々まで影響 を残 したモ ンゴル命令文書式 の1つ と見 な し,18世 紀 頃 まで特

別な言葉 ・名前 ・称号(故 人の君主や聖所 な ど)は 右欄外余 白の上部 に書かれ,文 中の

該 当個 所 は小 さ な空 白 に され る慣 習 が あ っ た こ とを指 摘 して い る。

モ ン ゴル時 代 指 南 書 に は,公 文 書 書 式 の作 法 と しての 抬 頭 へ の 言 及 は 見 られ な い 。 そ

の 代 わ り,書 簡 作 法 の解 説 に,受 取 人 の 名 の書 き方 と して それ に類 似 す る規 則 が取 り込

まれ て い るこ とが,Jalaliya,Nafa'is,Lata'ifに 確 認 で き る。

「神,預 言 者,王 侯,ワ ズ ィー ル,そ して ヤ ル リグ,ア ー ル ・タム ガ ー,命 令 書(mithal)

な ど彼 ら に属 す る もの の名 前 は,欄 外(janib-i wahshi),書 簡 の行(sutur-i maktub)の

上 に書 か れ る」[Jalaliya/T,fol.33b.]

「偉 大 な 人 に 文書 を書 く とき は,少 し余 白 を取 り,彼 の 名 前 をそ の[該 当 の行 の]上 に

右 側 に書 く。これ,は何 よ り神 の 名 前 に関 して守 るべ き事 で あ る」[Nafa'is,Vol.1,278.]

最 も詳 しい解 説 を残 して い るの はLatd'ifで あ り,イ ル ハ ン朝 崩壊 後 の1340年 代 以 降 の

知 識 に よ るそ の解 説 は,上 述 の 後代 の 勅令 で維 持 され て い た 作法 に ほ ぼ完 全 に一 致 す る。

「受 取 人 の 名(nam-i maktub ilai-hi)は 書 簡 の 中で その 地 位 に従 い特 化 して(mumtaz)

書 かね ば な らな い 。特 化 す る方 法 は,書 簡 の行 の 上 部 に[そ の名 を]書 くこ とで あ る。

も し必 要 で あれ ば 適 度 に余 白 を取 る。 も し よ り上 位 の 人 物 で あ れ ば,書 簡 紙 の 端 の右 余

白 に書 く。 一 部 の 書 記達 は至 高 な る神 の 名 が 出 て くる と必 ず神 の名 を右 余 白上 部 に 書 き,

[本 文 中の そ の 箇 所 を]空 白 にす る。一 部 の 者 はア ミー ルや 知 事(hukkam)の 名以 外 に

は こ の 作 法(adab)を 守 らず,そ れ を 必 要 と考 え て い な い。 高 位 の ア ミー ル(amiri

206

buzurg)や 高位 の王侯(maliki buzurg)の 名が出て きた時 も必 ず特化 して書かねばな ら

ない。高位のスルター ンや彼 らの代 理であ る大 ア ミール であれ ば,文 中に空白を置 いた

後で書簡の上の余白 に[名 を]書 くが,こ れ は大変に敬意 を払 うこ と(ta'zim)で あろ う。

同様 に勅令,ヤ ル リグ,ア ール ・タムガー,カ ラ ・タムガー,命 令書 な ど敬 意を示 すべ

き文書が出 てきた ら,慣 習 と して また作法 としてそれ も上述 のご とく欄外 に特別 に書 き,

特化 したことが分か るように空 白を置 く」

Mitchellは,サ フ ァヴ ィー朝外交信 書の形式の1つ として同様 の作法 を指摘 してお

り,現 存文書の最 も古い例 としてアク・コユ ンル朝 のオスマ ン朝宛文書 を挙 げているが,

上記指南書の記述 を受 け入れれば,公 文書 と同様書簡 におけるこの作法 もモンゴル時代

まで遡 るこ とが明 らか となる。異質な文書形 式か ら新 たに導入 された作法 とは思われな

いほ ど自然 な記述で あ り,本 当に抬頭の影響 か ら生 まれ た作法 なのか という疑問 も当然

残 る。 しか し,差 出人の名の書 き方 については詳 しく解説 している13世 紀のMisbahや

Khu'iの 指南書 に,こ の種 の作法へ の言及 は見 あた らない。

か りに,こ の作法 を抬頭の影響 と見なす仮 説を立 てるとすれ ば,な ぜ この作法が これ

ほど伝統 的書簡術 に浸透 したのだろ うか。注 目すべ き点 は,3指 南書の いずれ も神 また

は預言者の名を記 す作法 と してこの規則に触れていること,ま た高位の人物 に対す る敬

意 を示す(ta'zim)方 法 として,こ の作法 を評価 してい るこ とである。

そ して,,Jalaliyaの 記述 は,差 出人 の受取 人に対す る地位 に即 した署 名の作法 の解説

とともに語 られている。ペル シア語書簡は,受 取 人への敬意 を表現す るために冒頭部 の

呼びか けヒターブを長文化 してゆ くとともに,書 簡文 中にお ける差 出人署 名の位置 を下

げる という方法 を取 った。Dabiriは アラ ビア語書簡 と同 じ宛名('unwan「 某 から某へ

min…ila… 」)の作法 を記 してい るが,13世 紀 の指南書で はこの術 語('unwanat)は 書

簡 中の差出人署名 とその位置 の作法 を意味す るようになってお り,差 出人が受取人 よ り

高位で あれば書簡上部 に書 かれ るが,下 位 の場合 は受取人の ヒターブの下,ま たは書簡

末尾の署名が最 大の謙譲 を表す。高位の名 を上へ,下 位の名 を下へ 置 き地位 の差 を視覚

的に示す書簡形式の この思想 は,抬 頭 と矛盾な く一致 しうる。 ヒターブを美文化.肥 大

化 させ,高 位の受取 人へ の敬意 を示す形式 を極 限まで突 きつめて きたペル シア語書簡術

に とって,最 上の敬 意 を示 す抬頭の書式は受け入 れ られ易かった と推測 で きる。

指南書の記述のみ に基づ く以上の分析 は,モ ンゴルの影響に よるペル シア語書簡 ・文

書形式 の変化 を実証す る手段 としては,無 論 まだ弱 い。 しか し,聖 なる語 を突出 させ る

抬頭 が,伝 統的書簡術の文脈 で,神 をは じめ とす る高位の名の尊重 の作法 として疑 問な

く受け入れ られていた ことは,十 分認め られ るであろう。

207

お わ り に

以上 の検 討に より,次 のこ とが明 らかになったと思 う。モ ンゴル時代の インシャー術

指南書 には,イ ンシャー術 の最初 の発展 ・成熟期で あるセル ジュー ク朝期か らインシャ

ー術の繁栄期 とされ るテ ィームール朝 をつ な ぐ,伝 統的書簡術の更 なる発達 ・複雑化が

見 いだせ ることであ る。第2に,指 南書編纂の伝統が モンゴル文書行政 と共存 し得 たの

は,指 南書の 目的が行政 実務 に対応 する というよ り,専 ら伝統的文書の技巧的作法 を示

す ことにあ り,指 南書編纂 が庇護 者や知識人 に対 して書 き手の文才 を示す手段で もあ っ

たためで ある。 これは指 南書 を史料 に用 いたことの ある研究者 には常識的な ことであろ

うが,イ ンシャー作品に専 ら制度 史研究史料 としての価値 を見出 して きたモ ンゴル時代

以前の研究では,イ ンシャー術指 南書 の文学作品 と しての側面は まだ充分に認識 されて

いる とは言 いがた く,本 稿 はその点 も確認 し得 たと思 う。

しか し,伝 統的 インシャー術 がモ ンゴル文書行政 を黙殺 して存続 していたわけではな

く,特 にモ ンゴル命令文の重要 な理念 である抬頭 は,積 極 的に評価 していた。 モ ンゴル

以 降のペル シア語文書 におけ る トル コ ・モンゴル的要素の存続は,後 者の一 方的な浸透

のみではな く,伝 統的イ ンシャー術 の文脈で どの ように許容 されたのか を見 るこ とが鍵

になるので はな いか と,筆 者は推 測 している。

本稿 では,モ ンゴル時代 のイ ンシャー術指南書の傾向 を概観 するに留 まり,個 々の指

南書が示す文書作法の相違 と,そのモ ンゴル時代以前の文書伝統やDasturの 示す モンゴ

ル 的要素 との比較 などを詳 しく示 すには至 らなか った。 これについては他稿 を期 したい。

(1) 本稿 は,日 本学術振興 会特別研究員の平成14年 度科学研究費 による成果である。

(2) イス ラーム文 化 におけ るイ ンシャーにつ いての基 礎 的情 報 は,H.R.Roerner,

"INSHA',"in EI2, Vol. 3, 1979, 1241-4.

(3) H.R. Roemer, Staatsschreiben der Timuridenzeit: das Sharaf Nama des 'Abdallah

Marwarid in kritischer Auswertung, Wiesbaden,1952.お よ びEI2の 概 説 。

(4) "CORRESPONDENCE," in EIr, Vol. 6,1993,287-98, F. Mojtaba'i, "ii- In Islamic

Persia," 290-293, H. Rajabzadeh, "iii- Forms of Opening and Closing, Address, and

Signature," 293-8; J. Paul, "ENSA'," in EIr, Vol. 8, 1998, 455-7.

(5) C. Mitchell, "Safavid Imperial Tarassul and the Persian Insha' Tradition,"

Studia Iranica 26 (1997),173-209.こ の他,イ ンシ ャ ー術 ・作 品 に着 目 した研 究 と して

は,ム ガ ール 朝 ペ ル シア 語 文 書 行政 シ ス テム に関 す るM.Mohiuddin,The Chancellery

and Persian Epistolography under the Mughals: From Babur to Shah Jahan (1526-

1658), Calcutta, 1971.

208

(6) イ ン シ ャ ー 作 品 を 用 い た 代 表 的 な 政 治 ・社 会 制 度 史 研 究 は,H.Horst,Die

Staatsverwaltung der Grosselguqen und Horazmsahs (1038-1231), Wiesbaden, 1964;

A.K.S. Lambton, "The Administration of Sanjar's Empire as Illustrated in the'Atabat al -Kataba," BSOAS, 20 (1957), reprinted in Theory and Practice in Medieval

Persian Government,London,1980,367-88.し か し,イ ン シャ ー作 品収 録 の 公 文 書 ・書

簡 は信 憑性 を裏 づ け られ な い とい う問 題 が あ り,こ れ が イ ン シャ ー作 品 を史 料 と して

用 い る障害 とな っ て きた。Roemer,"INSHA',"1242.

(7) 16-18世 紀 にお け るイ ラ ン ・中 央 ア ジア ・イ ン ドの 文 化 的一 体 性 を 「ペ ル シ ア 語 文

化 圏」 とい う側 面 か ら描 き出す こ と を試 み た 近 藤 信 彰 も,そ の1要 素 と して イ ンシ ャ

ー 作 品=ペ ル シ ア語 書 簡 集 を取 り上 げ て い る。近 藤 信 彰 「イ ラ ン,ト ゥラ ン,ヒ ン ド:

ペ ル シア 語 文化 圏 の 発 展 と変 容 」 『イス ラー ム ・環 イ ン ド洋世 界』(岩 波 講 座 世 界 歴 史

14),岩 波 書 店 刊,2000,93-114,95-8.

(8) 注 目す べ き研 究 と して,セ ル ジ ュー ク朝 ・モ ン ゴル 時 代 の イ ン シ ャー 集(insha'

collection)を 文 化 史 的 な視 点 か ら見 直 したPaulの 業 績 が あ る。J.Paul,"Insha'

Collection as a Source on Iranian History," in B.G. Fragner et al. (eds.),

Proceedings of the Second European Conference of Iranian Studies, Roma, 1995, 535-

50; do.,"Some Mongol Insha' Collections: The Juvayni Letters," in Ch. Melville

(ed.), Proceedings of the Third European Conference of Iranian Studies: Part 2, Medi-

eval and Modern Persian Studies, Wiesbaden, 1999, 277-85.

(9) Rashid al-Din Fadl Allah Hamadani, Sawanih al-Afkar-i Rashida, ed. by M.T.

Danishpazhuh, Tihran, 1358kh; Muhammad b. Hindushah Nakhchiwani, Dastur al-

Katib fi Ta 'yin al-Maratib, ed. by A.A. Alizade, 3 vols., Moscow, 1964-76.

(10) Mojtaba'i, "CORRESPONDENCE," 292.

(11) Mitchell, "Tarassul," 207-9.

(12) テ ィー ム ール 朝 期 にお け るイ ンシ ャ ー作 品の 盛 ん な 編纂 に つ い て は,久 保 一 之 「い

わ ゆ るテ ィム ー ル朝 ル ネサ ンス 期 の ペ ル シア語 文 化 圏 にお け る都 市 と韻 文学:15世 紀

末 ヘ ラー トの シ ャフ ル ・ア ー シ ュー ブ を中心 に」 『西 南 ア ジア 研 究』54 (2001),54-83.

(13) モ ン ゴル 帝 国 の文 書 行 政 シス テ ム につ い て は,杉 山正 明 「元代 蒙 漢 合壁 命 令 文 の 研

究(一)(二)」 『内 陸 ア ジ ア言 語 の 研 究』5,6 (1990,91),1-31,35-55;小 野 浩 「とこ しえ

な る天 の 力 の も と に」 『中 央 ユ ー ラ シ アの 統 合 』(岩 波 講 座 世 界 歴 史11),岩 波 書 店 刊,

1997,203-26.ペ ル シア 語公 文 書 の 形 式 変遷 に お け る モ ン ゴル 時代 の影 響 につ い て は,

B.G. Fragner, "FARMAN," in EIr, Vol. 9, 1999, 282-95.

(14) M.T. Danishpazhuh, "Dabiri wa Niwisandagi 1-5," Hunar wa Mardum, 101-6

(1352kh/1971), reprinted in N.M. Kashani & M.H. Mar'ashi (eds.), Hadath-i 'Ishq:

Danishpazhuh dar Qalamraw-i Justar-ha-yi Nuskha-ha yi Khatti, Tihran, 1381kh, 135-

229.こ の目録 は6部(財 務術 文献/免 状ijaza/ワ クフ文書/詩 人のイ ンシャー ・書簡

集/書 簡術 の文献/書 記 ・官僚のイ ンシャー ・書簡集)に 分 かれ,第5が 本稿の主な典

209

拠 と な る(以 下,Danishpazhuh (5)と 記 す)。 こ の 他,A.Munzawi,Fihrist-i Nuskha-

ha-yi Khatti-yi Faysi, 6 vols,Tihran,1348-53kh(特 にVol.3,1350kh,2083-123.以 下,

Munzawi); C.A. Storey, "E: Ornate Prose," in Persian Literature: A Bio-bibliogra-

phical Survey,Vol.3,Pt.2,Oxford,1990,240-407(以 下,Storey).を 参 照 した 。

(15) Roemer以 下 先 行研 究 は,イ ンシ ャ ー作 品 を(1)書 記 が 遵 守 す べ き規 則 の 解 説,(2)

模 範 的書 簡や 公 文 書 の 集 成,(3)そ の 双 方 を併 せ持 つ もの の3種 に分 け て い るが,そ の

内 容 ・形 式 は極 め て多 様 で あ る(前 者 に はア ダブ 文 学 に お け る書 記 術 論,官 僚 技 術 と

して の財 務 術 ・法 文 書 作 成 術 指 南 書 も入 り,後 者 に はGhazali,Khaqaniな ど学 者 ・文

学 者 の 書 簡 集 も数 え られ る 。Roemer,"INSHA"'; Paul,"ENSA'"; Mojtaba'i,"COR-

RESPONDENCE")。 本 稿 で は,イ ン シ ャ ー 作 品 編 纂 の 背 景 に は,書 記 の 職 務 を称 揚 し

論 じ る伝 統(cf.C.E. Bosworth,"Administrative Literature," in M.J.L. Young etal.

(eds.), The Cambridge History of Arabic Literature: Religion, Learning and Science in

the 'Abbasid Period,Cambridge,1990,155-67)と,文 人 の書 簡 を含 む文 学 作 品 が作 品

集(munsha'at,イ ン シ ャー 集)と して 編 まれ る伝 統 が 交 差 して い た と考 え(13世 紀 初

頭 の 詩 人 伝Lubdb al-Albabは,書 記 ・官 僚 出 自の 詩 人43名 の伝 記 で11名 に イ ン シ ャ ー

集munsha'at・ 書 簡 集rasa'ilが あ る とす る。'Awfi,Lubdb al-Albab,eds.by E.G.

Browne & M.Qazwini,2vols.,London,1903-6,Vol.1,63-164),前 者 の性 格 を持 つ 作

品 を 「指 南書 」,後 者 を 「作 品 集」 と捉 えて便 宜 的 に 区別 す る こ と とす る。 しか し,高

名 な 書 記 の 作 品 集 は往 々 に して そ の 編 纂 理 由 を書 記 へ の技 術 伝 授 と して お り,「 指 南

書 」 と 「作 品 集 」 が独 立 した文 献 ジ ャ ンル と して 明 瞭 に分 類 し うる わ け で は な い こ と

を,強 調 してお く。

(16) 拙 稿 「『書 記 典範 』の 成 立 背景: 14世 紀 にお け るペル シ ア語 イ ン シ ャ ー手 引 書 編 纂

とモ ン ゴル 文 書 行 政 」 『史 学 雑 誌 』111: 7(2002),1-31.

(17) この う ち財 務 術指 南 を伴 う作 品 に は,社 会 経 済 史 研 究 の 関 心 か らす で に分 析 対 象

に な っ て い る もの も あ る(Sa'adat)。Die beiden persischen Leitfaden des Falak 'Ala-ye

Tabrizi uber das staatliche Rechnungswesen im 14. Jahrhundert, vorg. von M.

Nabipour, Gottingen, 1973 (Ph. D. Dissertation).

(18) 最 も古 いペ ル シア 語 イ ン シ ャー 作 品 と され る の はTarikh-i Bayhagiの 著 者Abu

al-Fadl BayhaqiのZana al-Kuttabで あ るが,現 存 しな い 。Mojtaba'i,"CORRESPO-

NDENCE, "291.

(19) Muhammad b. 'Abd al-Khaliq al-Mayhani, Dastur-i Dabiri, ed. by A.S. Erzi,

Ankara, 1962.

(20) Dabiri以 後 の13世 紀 初 頭 まで の指 南 書 は,管 見 の 限 りMuwaffaq b.Muhammad

Majdi,Misbah al-Rasa'al wa Miftah al-Fada'il, ms. Kitabkhana'-i Majlis 328 Sana

(以 下,Misbdh/Majlis)の み で あ る。作 者 の素 性 につ い て は情 報 が な いが,606/1209-

10付 の 文書[fol.76a]が 収 録 され て い るこ と,ラ カ ブ 用例 が後 述 のKhu'iの ア ナ ト リ

ア君 侯 国 時代 の指 南 書 と極 め て似 て い る こ とか ら,13世 紀 初 頭 同地 で成 立 した作 品 と

210

考 え ら れ る 。 拙 稿R.Wataba,"Pazhuhishi dar Sakhtar-i Majmu'a-ha-yiMunsha'at-

i Dabiri wa Tahawwul-i A'in-ha-yi Nigarish dar Dawra'-i Mughul," Kitab-i Mah:

Tarikh wa Jughrafiya 32(2000),28-41,33-4.参 照 。

(21) Danishpazhuh (5),163-8,no.4-18,20(全24作 品)か ら4作 品(イ ン シ ャー 術 指 南

で は な い 文 学作 品3,法 文 書 作 成 術 指 南 書1)を 除 く。

(22) Hasan b.'Abd al-Mu'min Khu'i, Nuzha al-Kuttab wa Tuhfa al-Ahbab; Qawa'id

al-Rasa'il wa Fara'id al-Fada'il; Rusum al-Rasa'il wa Nujum al-Fada'il; Ghaniya al-

Kdtib wa Maniya al-Talib (Danishpazhuh (5),164,no.5) 13世 紀 末Kastamanuの ア

ミー ルMuzaffar al-Din Yuluk Arslan (r.c.679-91/c.1280-92)の 時 代 の 作 品 。 作 者

と各 作 品 につ い て は,Majmu'a'-i Athat-i Husam al-Din Khu'i, ed.by S.'Abbaszada,

Tihran,2000(以 下,Khu'i/'Abbaszada),9-19,29-62.こ の 他,イ ン ドで最 初 に確 認 さ

れ る イ ン シ ャー 作 品 と して,Amir Khusraw Dihlawi (651-725/1253-1325),Rasd'il al-

I'jaz (I'jaz-iKhusyawi)が 挙 げ られ る。Danishpazhuh (6),184; Storey,243-4.

(23) Danishpazhuh (5),163,165,167,no.4 (1)-(2),7 (3),15,18.no.4 (1)-(2)は1つ

の イ ン シ ャー 作 品 集 成 写 本 に収 録 さ れ た推 定13世 紀 の 作 品,no.7(3)はJalaliya作 者 に

よる もう1つ の 指 南 書,no.15はDastur-i Insha' (761/1359-60成 立),no.18は ム ザ ッフ

ァル 朝Shah Shuja'(r.765-86/1364-59)に 献 呈 され たMunisal-Ahyay。 こ れ らの調 査

は,今 後 の 課 題 で あ る。

(24) イル ハ ン朝 初 期 の ワ ズ ィー ルShams al-Din Juwayniに 献 呈 され た作 品 と言 わ れ

るが,Juwayni処 刑 後 の 日付 を含 む こ とか ら,確 定 は さ1れて いな い(Danishpazhuh

(5),166)。 しか し書 簡 受 取 人 の 尊 称 の 用例 と して ま ず 「sahib-i sahib-giran…Shams

al-Haqq wa al-Dunya wa al-Din」(Sdhibiya/Malik,fol.6a)を 取 り上 げ て い る こ とか

ら も,Juwayniが 関 わ っ て い る可 能 性 は少 な くな い 。 な お,以 下 に取 り上 げ て ゆ く指

南書 の 略称 と書 誌 情 報 は,す べ て表Ⅱ を参 照 。

(25) Sa'adat刊 本 書 誌 情報 は,注(17)参 照 。Sa'adatはGhazan~Oljeitu時 代 の ワ ズ イ

ー ルSa'd al-Din Sawajiに ,そ の簡 略 版Sharafiは そ の 息子Sharaf al-Dinの た め に

著 され た。 第1部 書 簡術(tarassul)指 南 につ い て は,わ ず か な省 略 を 除 きSa'adat,

Sharafiに 大 きな違 い はな い 。

(26) 作 者Sharaf Qazwini (d.740/1339-40頃)は,イ ル ハ ン朝 ワズ ィールGhiyath al-

Din Rashidiと 大 ロル ・ア タベ ク朝 に仕 えた詩 人 ・散 文 家。'A.Iqbal,Tarikh-i Mughul,

Tihran, 1347kh (3rd ed.), 520-1; Dh. Safa, Tarikh-i Adabiyat dar Iran, Vol. 3, Pt. 2,

Tihran, 1366kh (4th ed.), 1256-8.

(27) 著 者Muhammad b.Hajjiは,諸 研 究 に よれ ば,ム ザ ッフ ァル朝Shah Shuja'に

' Adud al-Din al-Ijiのal-Fawa'id al-Ghiyathiyaの 注 釈 を献 呈 したMuhammad b.

Hajji b.Muhammad al-Bukhari al-Sa'idiに 比 定 され て い るが(Storey,244-5),確

定 はで きて い な い。 しか し書 簡 受 取 人 の ラカ ブ(laqab)用 例 と して イ ル ハ ンの ラ カブ

を収 録 して お り(Miftah/T,fol.110b),そ の イ ン シ ャー術 に関 す る知 識 が モ ンゴル 支

211

配 の影 響 を反 映 して い る こ とは確 か で あ る。

(28) 作 者 の 素性 は 明 らか で は な い が,ム ザ ッフ ァル 朝Shah Shuja'存 命 中 に書 か れ た

和 平 文書('ahd-nama)を 収 録 して お り,同 朝 に 仕 え て い た可 能 性 が 高 い 。ま た ロル の

ア タ ベ クへ の書 簡 冒頭 部 用 例 を挙 げ て お り,イ ラ ン南 西 部 の文 化 交 流 圏 に属 す る人 物

で あ っ た と考 え られ る。Qawanin/Majlis,foll.45a-45b,53b-54a.

(29) 作 者 は741/1340-1頃Tugha Timur(r.739-54/1338-53)支 配 下 の ホ ラー サ ー ン に

旅 し(Lata'if/Majlis,fol.19a),故 郷(ニ ス バ に従 え ば マ ー ワ ラ ー ・ア ンナ フ ル の

Nasaf)で 作 品 を執筆 した とい う こ とか ら,14世 紀 半 ば ~後 半 の 中央 ア ジア の 作 品 と推

測 しう る。

(30) Shams al-Din Muhammad Amuli, Nafa'is al-Funun wa 'Ara'is al-'Uyun, ed. by

H.M.A. Shi'rani,3 vols,Tihran,1377-9kh,Vol.1,275-303.イ ル ハ ン朝Oljeituの 庇

護 を受 け た シ ー ア 派 学 者Shams al-Din Amuli (d.753/1352-3)が イ ー ン ジ ュ ー 朝

Shaykh Abu Ishaqに 献 呈 した 学 問 百科 事典 で あ るが,そ の イ ン シ ャ ー術(fann-i

insha')の 章 の前 身 に は,著 者 が 以 前 に執 筆 した イ ン シ ャー 術 の著 作(risala)が あ っ

た とされ,1種 の簡 略版 と見 な して よ いだ ろ う(Nafa'is,Vol.1,275)。 著 者 の経 歴 に つ

い て は,Safa,Tayikh-i Adabiyat dar Iran,Vol.3,Pt.2,1273-6.

(31) 書 記術 の理 念 で は,「 書 くこ と(kitaba)」 か らそ の 目的 に従 っ て 文 書術 ・財 務 術 ・

法 文 書 作 成 術 が 派 生 す る とい う考 え方 が あ る(Jalaliya/T,foll.6a-b)。 ま たNafa'is

は,文 芸 諸学('ulum-i adabi)の1部 と して イ ン シ ャー 術 と財 務 術 を並 列 して い る

(Nafa'is,Vol.1,275-303,303-28)。 法 文 書 術(shurut)に つ いて は,W.B.Hallaq,

"SHART: 1 -In Islamic Law," in EI2, Vol. 9, 1997, 358-9.

(32) この 時 代 の 財務 術指 南 書 につ い て は,'Abd Allah b.Muhammad b.Kiya al-

Mazandarani, Die Resald-ye Falakiyyd des 'Abdollah Ibn Mohammad Ibn Kiya al-

Mazandarani: Ein persischer Leitfaden des staatlichen Rechnungswesens (urn 1363),

herausgegeben von W.Hinz,Wiesbaden,1952,1-5(校 訂 者Hinzに よ る 序 文);P.

Remler, "New Light on Economic History from Ilkhanid Accounting Manuals,"

Studia Iranica 14 (1985), 157-77.

(33) Danishpazhuh (5),169,no.27以 降 を見 よ。

(34) Sdhibiya,Sa'adat/Sharafi,Nafa'is,Qawaninの 序 は,書 簡作 法,特 に書 簡差 出 人 ・

受取 人 の間 の 位 階 の 遵 守 に 関 す る実 用 的 な解 説 で あ るが,Jaldliya,Dastur,Lata'ifは ア

ダ ブ文 学 な ど を用 いた 学 問 的 イ ン シ ャー 術 論 を収 録 す る。

(35) 13世 紀 末 ア ナ トリアのKhu'iは,書 簡 の た め の格 言 ・詩 の集 成(Nuzha),書 簡.

公 文書 作 成 術 指 南 書(Qawa'id,Rusum),書 簡(ikhwaniyat)の み の 指 南 書(Ghaniya)

を編 纂 して い る。 注(22)参 照 。

(36) Mitchell, "Tayassul," 178.

(37) ペ ル シア 語 書 簡 の構 成 ・作 法 に つ い て は,L.Fekete,Einfuhrung in die Persische

Palaographie, Budapest, 1977, 43-57; Rajabzadeh, "CORRESPONDENCE," 293-8;

212

Mitchell,"Tarassul," 184-6.

(38) Dabiriは 書 簡 をバ ス マ ラ(tasmiya)・ 冒頭 部(sadr-inama)・ 本 題 へ の 導 入(ba

magsud paywastan)・ 結 句 へ の 移 動(birun shudan az nama)・ 結 句(khatam-i nama)

よ り構 成 され る とす る。Dabiri,13-23,41-55.

(39) Khu'iの 指 南書(Qawd'id,Rusum)は,受 取 人 の ヒタ ー ブ(祈 願 文 形 式 の 呼 び か

け)/差 出 人 か らの挨 拶(tahiyat)/遙 遁 の希 望 の 表 明(tamanna'-i mulagat)を 冒頭 部

の4要 素(asl,rukn)と す る。Khu'i/'Abbaszada,227,346.

(40) Dasturか らIrshadへ の構 成 改編 につ い て は,渡 部 「書 記 典 範 」9-11.

(41) Mandzirは 往 信 を14柱(rukn)か らな る と し,Makhzanは12柱 か ら な る とす る。

Manazirは バ フマ ニ ー 朝 宰 相Mahmud Gawan(d.1481)が 著 した指 南 書,Makhzan

は テ ィー ム ー ル朝 の 高 名 な 文 人 ・文芸 庇護 者'Ali Shir Nawa'iの 下 で編 まれ た 。

Mahmud Gawan, Manazir al-Insha', ms. British Library Add. 22706, fol. 72a;

Husayn b. 'Ali al-Wa'iz al-Kashifi (d. 910/1504-5), Makhzan al-Insha, ms. BL Add.

25865,fol.3b.Mandzir al-Insha'に はIstanbul,1800の 刊 本 が あ るが,筆 者 は 入 手 で き

な か っ た ため,こ の16世 紀 の写 本(Ch.Rieu,Catalogue of the Persian Manuscripts in

the British Museum,3 vols.,London,1966,Vol.2,527.)を 利 用 した。 各 作 品 ・作 者 に

つ い て は,Storey,257-60,262-3.

(42) 「書 簡 は,往 信 の場 合,あ る者 は14柱 か ら,あ る者 は12柱 か らな る とい う。あ る者

に よれ ば11柱,あ る者 に よれ ば14柱 か らな る とい う。[中 略]し か し,真 実 で は,14日

の夜 の満 月の よ う に,差 出 人 が 受取 人 に書 く完 全 な 往 信 の 書簡 は すべ て14柱 か らな る

とい うこ とは明 らか で あ る」Manazir/BL,foll.71b-2a.

(43) 高 位 の 受取 人 をは じめ,神 ・預 言 者 ・高 位 の 人物 ・そ の 他敬 意 を払 うべ き もの(聖

都,受 取 人 の 所 有 す る軍 ・城 塞 な ど)に 言 及 す る時,必 ず ア ラ ビ ア語 の ドゥアー を添

え るの が書 簡 術 の 基 本 的 作法 で あ るが(cf.Dabiri,14-8),ペ ル シ ア語 の 冒頭 部 祈 願 文

で 受取 人の ラカ ブ に ドゥア ー を添 え る と,祈 願 文 の 中 に祈 願 文 が 入 る と い う奇 妙 な 文

章 に な る。

(44) Jalaliya/T,fol.26b.Qawaninも 同様 の 注意 を して い るが(Qawanin/Majlis,fol.

44b),Dasturは 受 取 人 の 地 位 に特 に定 め られ た ドゥア ー で あれ ば書 い て もよい とす る

(Dastur, Vol. 1, 57-9).

(45) Makhzan/ BL, fol. 70b.

(46) Bahd'i/Majlis (Bayani),fo11.1b-2a.Qawaninも 同 様 の 現 象 を 伝 え て い る 。

Qawanin/Majlis, fol. 44a.

(47) H.Khatibiは,14世 紀,ヒ タ ーブ が極 度 に美 文 化 した ゆ え に 「書 き きれ な い もの 」

と して 省 略 す る慣 習 が 生 じた と告 げ て い る。H.Khatibi,Fann-i Nathr dar Adab-i

Parsi, Tihran, 1375kh (2nd ed.), 324.

(48) Makhzan/BL,fol.4aで 「あ る文献(ba'dirasa'il)に よ る」 と してLata'if作 者

の 体験 談(Lata'if/Majlis,fol.19a)を 引 い て い る。

213

(49) 渡 部 「書 記典 範 」14-5.

(50) Jalaliya/T,fol.40a;渡 部 「書 記 典 範 」15.

(51) 任 命 の経 緯 の 説 明 の後 の定 型的 表 現 「か くして,こ の ヤ ル リグ が 発 行 さ れ た … …」

Jalaliya/T, foll. 85b, 86a, 89a, 95b, 96b, 97a, b, 99a, b.; Nusratiya/ BL, fol. 46b.

(52) Nusratiya/BL,foll.45b-46a.徴 税 請 負 職 は,イ ラ ン南 西部Farsを は じめ イル

ハ ン朝 支 配 下 で 税 獲 得 の 手 段 と され て きた役 職 で あ る。A.K.S.Lambton,"Mongol

Fiscal Administration in Persia,"Studia Islarnica 54-55 (1986-7),79-96,97-123;拙

稿 「イル ハ ン朝 の 地 方 統 治:フ ァール ス地 方行 政 を事 例 と して 」『日本 中 東 学 会 年 報 』

12 (1997), 185-216.

(53) 地 方 知 事 職 が 統 治 者 に して徴 税 官 の意 味 でhukumat wa mutasarrifiと 呼 ばれ る

例 は モ ン ゴル 時 代 史 料 に しば しば 見 られ,地 方統 治 ・徴 税 ま た は徴 税 請 負 が一 体 化 し

た シ ス テ ムが あ っ た こ とが 窺 わ れ る。 渡 部 「イル ハ ン朝 の地 方 統 治 」193-5,215-6.

(54) イ ル ハ ン朝 時 代 のidrarに つ い て は,岩 武 昭 男 「イ ル ハ ン朝 期 の イ ドラ ー ル

(idrar):モ ン ゴル の イ ラ ン支 配 の 一齣 」『オ リエ ン ト』41: 2(1988),80-97.こ の 種 の

文 書 用例 は,Dabiriや アナ ト リア のKhu'iの 指 南 書 には 見 られ な い。

(55) Khu'iの 指 南書 ・その 他 ア ナ トリア の公 文書 用 例 集 に見 られ るセ ル ジ ュー ク朝 行

政 組織 に つ い て は,O.Turan,Turkiye Selcuklurari Hakkinda Resmi Vesikalar: M-etin,

Tercume ve Arastirmalar,Ankara,1958 (2nd ed.,1988)参 照 。

(56) モ ン ゴル 命 令 文 書 式 にお け る発 令 対 象 者 列 挙 につ い て は,小 野 「とこ しえ な る」

206.

(57) Dastur, Vol. 3, 177-255.

(58) Dabiriが 収 録 す る公 文 書(sultaniyat)は,ラ イー スriyasat/カ ー デ ィー/監 察 官

ishraf/徴 税 官'amil/シ フ ナshihnaと い う要 職 の 任 命 文 書(manshur)と 庇 護

('inayat)の 命 令書(mithal)で あ る(Dabiri,106-15.)。 また,Manazirが 示 す体 系

的 な文 書分 類 で,公 文 書 と して 挙 げ られ て い る の はmanshur(芸 術 家 の 庇 護/受 取 人

に敬 意 を払 っ た 官職 授 与)・ 勅令(farman)・ 征 服 文 書 ・和 平 文 書 ・命 令 書(mithal)

で あ る(Manazir/BL,foll.61a-78a.)。

(59) "Tagarir al-Manasib," in Turan, Tiirkiye Selcuklurarz Hakkznda Resrni Vesikalar,

15-19, 23-24, 28-30 etc.

(60) Jalaliya/T, foll. 85b, 86a, 87b, 88a-b, 89a-b etc.; Nafa'is, Vol. 1, 298-301.

(61) Dastur収 録 の 征服 文書 用 例 はヤ ル リグ で あ り,モ ン ゴル政 権 君 主 の命 に よ る文 書

と しての 性 質 を明 瞭 に示 して い る(Daster,Vol.3,255-60)。 が,作 者 が イル ハ ン朝 内

部 に い たSa'adat/Sharafi,Jalaliyaの 征 服 文 書 はヤ ル リグ の形 式 を取 って お らず,こ の

伝 統 的 文 書 形 式 にお い て モ ン ゴル政 権 公 文書 と しての 実 用 的用 例 を示 す 意 図 はな か っ

た こ とが 窺 わ れ る。Sharafi/Safina'-i Tabriz,422-3; Jalalaya/T,foll.93-4.

(62) Nusratiya/BL, foll. 50a, 51a-56b; Qawanin/Majlis, foll. 51b-52a, 54b.

(63) 表Ⅱ 参 照 。 この他,13世 紀 末 アナ ト リア でKhu'iが 著 した4点 の 指 南 書 の うち,

214

書 簡 に 引 用 す る詩 ・格 言 を蒐 集 したNuzha al-Kuttabは 極 め て よ く流 布 して お り,19世

紀 まで 写 本 が残 っ て い る。Danishpazhuh (5),163-4; Storey,242.

(64) Jalaliyaの 書 記 術 論 の 一 端 につ いて は,Wataba,"Pazhuhishi,"34-5;渡 部 「書 記 典

範 」6-5.

(65) 14-15世 紀 に編 纂 され た と考 え られ る,モ ン ゴル 時 代 の 書 簡 作 品(Juwayni家 書 簡

群)を 多 数収 録 す る集 成 写本 に,在Shirazの あ る書 記(katib,恐 ら く写 本 作 成 者)

が 写 本 注 文 者 に 注文 の写 本 を送 付 す る書 簡 が 収 録 され て い るが,そ こで イ ン シャ ー 術

に関 す るRisala'-i Jalaliyaな る作 品が 言 及 され て お り,「見 識 の あ る人 々が これ を読 み

賞 賛 し写 本 を作 り,当 地 で は大 変 よ く読 まれ て お ります 」 と述 べ られ て い る。 この作

品 は,Jalaliyaで は な い か と筆 者 は推 測 して い る。ms.Istanbul Universitesi Kutu-

phanesi, FY. 552, fol. 83a.

(66) Dastuyの 序 章 にお け る書 記 術 論 がJalaliya書 記 術 論 か らの 抜粋 を含 ん で い る こ と

に つ い て は,渡 部 「書 記 典 範 」6-5.Lata'if序 章 の 書 記術 論 は独 自の叙 述 が主 だ が,

Jalaliyaが ア ラ ビア語 ア ダ ブ文 学 か ら引 用 して い るい くつ もの挿 話 を 同様 に記 して い

るな ど,全 体 に影 響 が 濃 い 。Latd'if/Majlis,foll.6b-25b.

(67) Sahibiya,Jalaliya,Sa'adat/Sharafi,Nusratiya,Baha'i,Lata'if。 表Ⅱ 参 照 。

(68) 久 保 「テ イム ール 朝 ル ネ ッサ ンス 」55-6.

(69) Lata'if/Majlis, foll. 4a-6a.

(70) Miftah/T, fol. 108b; Nafa'is, Vol. 1, 275; Qawanin/Majlis, fol. 43b.

(71) Dabiriも,編 纂 動機 に つ い て 同様 の 説 明 を して い る(Dabiri,1.)。 ま たDasturは,

編 纂 開始 の 経 緯 を イル ハ ンAbu Sa'idの ワズ ィールGhiyath al-Din Rashidiの 指 示

と具 体 的 に説 明 して い る に もか か わ らず,序 言 の 別 の 箇所 で は識 者 の要 請 に よ りや む

な く編 纂 を承 諾 した と も述べ て い る。Dastur,Vol.1,10.

(72) Qawanin/Majlis, fol. 43b; Baha'i/Majlis (Bayani), fol. 6a; Jalaliya/T, foil. 4b-

6a.

(73) 作 者 が 庇 護 者 の 注 目 を期 待 して 作 品 を編 纂 す る事 例 は,書 簡 集 に も見 られ る。

Rashid al-Din書 簡 集 の 編 者Muhammad Abarquhiは,編 纂 動 機 を故 ワズ ィー ル の学

識 お よび知 識 人 達 との 広 い 交 友 を後 世 に伝 え るた め と して い る。 しか し同 時 に,書 簡

の 起 草 に は 編 者 自 身 も携 わ っ た こ と,こ の 書 簡 集 に よ り 自 らの 才 能 が 主 人 達

(makhadim)の 目 に留 ま り,庇 護 を受 け る期 待 を述 べ て い る。Sawanihal一.Afkdr-i

Rashidi, 3-4.

(74) モ ン ゴル 時代 に編 纂 され た公 文 書 集 と して は,Juwayni一 族 の 書 簡群 と合 本 され

た,セ ル ジ ュー ク朝 ・ホ ラズ ム シ ャ ー朝 期 の 公 文書 集 「過 去 の ス ル タ ー ン達 の命 令 書

(ahkam-i salatin-i madi)」 が あ るが(ms.St.Petersburg C816.cf.Paul,"Insha'

Collection"),モ ン ゴル 支 配 期 の外 交書 簡 や 命 令 書 の み を ま とめ て蒐 集 した 集成 は,他

に見 あ た らな い。Danishpazhuh (6),183-5.

(75) ホ ラ ズ ム シ ャー朝 期 まで の現 存 す る代表 的 イ ン シ ャー 作 品 は,高 位 の書 記 が 自 ら

215

の起 草 に な る文書 を ま とめ た もの で あ る。Muntajab al-Din Badi'al-Katibal-Juwayni,

'Ataba al-Kataba , eds. by M. Qazwini & 'A. Igbal, Tihran, 1329kh; Baha' al-Din

Baghdadi, al-Tawassul ild al-Tarassul, ed. by A. Bahmanyar, Tihran, 1332kh;

Rashid al-Din Watwat, Nama-ha yi Rashfd al-Din Watwat, ed. by Q. Tu'isarkani,

Tihran,1338kh.ま た,モ ン ゴル 時 代 に も,ル ー ム ・セ ル ジ ュー ク朝 ・君 侯 国 期 の アナ

ト リ ア で は 公 文 書 集 成 の 写 本 が 複 数 残 され て い る。Turan,Turkiye Selcuklurz

Hakkznda Resmi Vesikalar参 照 。

(76) Shams al-Din Juwayniは ア ナ ト リア 駐在 中 の 息 子Harunへ の 書 面 で た ゆ まず

イ ン シ ャー 術 の 習 得 に つ とめ るこ とを奨 励 し,「こ と アナ ト リアで は 需 要 が あ るだ ろ う

(kharidar dashata bashand)」 と述 べ て い る(ms.Istanbul Universitesi Kutiiphanesi,

FY.552,foll.17a-18a)。 また,Lata'ifは,高 位 の 人 々 に対 す る適切 な 呼 び か け の表 現

は,交 際 や 人 付 き合 い を通 して 学 ぶ しか な い,と して い る。Lata'if/Majlis,fol.12a.

(77) 杉 山 「元 代 蒙 漢 合 壁 命 令 文(一)」1-2.

(78) ア ー ル ・タ ム ガ ー は モ ン ゴル 君 主 の 玉 璽 で あ るが(G.Doerfer,"ALTAMGA,"in

EIr,Vol.1,1982-5,766-8.),Dasturの 時 代 まで にヤ ル リグ 以 外 の デ ィー ワ ー ン文 書 を

もアー ル ・タム ガ ー と呼 ぶ よ うに な っ て い た こ とが,こ こか ら理解 し うる。

(79) Dabiriに よれ ば,mithalは 支 配者(what)が 出 す あ らゆ る文 書(niwishta-ha)

を意 味 し,manshur-i khassは 職 務 の授 与(tafwud-i 'amali)に 関 す る命 令 書(mithal),

tughra'-i khassは スル タ ー ンが 与 え る命 令 書(mithal)で あ る。Dabiri,30.

(80) Lata'if/Majlis,fol.115b.こ こ に挙 げ られ る タ ム ガ ー は,モ ンゴル 時 代 に使 用 され

て い た とい うタ ム ガ ー の種 類 と一 致 す る(Doerfer,"AL TAMGA")。

(81) Miftahは,返 信(jawab)の 書 き方 に お いて 受 取 人 か らの書 簡 を形 容 す る表 現 用

例 を示 して い るが,王 侯(muluk)の 書簡 はfarman/tughra/manshur/tawql'な ど と

呼 び,ワ ズ ィー ル の 書 簡 はmithalま た はal-tamghaと 呼 ぶ 例 を挙 げ て い る。Miftah/

T, foll. 126b, 130b.

(82) 杉 山 「元 代 蒙 漢 合壁 命令 文(一)」14-15;小 野 浩 「とこ しえ な る」215.抬 頭 はイ ル

ハ ン朝 で も遵 守 され て お り,横 書 きのペ ル シア 語 文 書 で は,ヤ ル リグの 語 が右 余 白 に

飛 び 出 す形 を取 っ て い た。H.D.Papazian,"Deux nouveux Iarlyks d'Ilkhans,"

Banber Matenadarani 4 (1962), 379-401.

(83) Fragner, "FARMAN," 286.

(84) Latd'if/Majlis, fol. 22a-b.

(85) Mitchell, "Tarassul," 194.

(86) Dabiri, 21-7.

(87) Misbah/Majlis, foll.30b-32a, 46b-47b; Khu'i/'Abbaszada, 244-5, 247-8, 346;

jaldliya/ T, foll. 33b-34a.

216

表Ⅰ:ペ ル シア語 イ ンシャー術指 南書編纂史(14世 紀後半 まで)

凡例:

・Danishpazhuh (5) 163-8 ,(6) 181-5; Storey,240-50.に 基づ き作成(参 考文献の書誌情 報 は本稿

注(14)参 照)。

・[ ]… …現 存 しない作品,?は 指南書 か用例 集(作 品集)か 不明であ ることを示 す。

・下線=指 南書形式 の作 品:枠 囲み=本 稿の分析対 象の作品。[?]=成 立地 に関す る明瞭な情報が

な く,推 定 による作 品。※筆 者が現在の ところ未調査 の作品。

・下線 な し=用 例集.書 簡集形式 の作 品(イ ンシャー集):イ タ リックは作 品名。人物名 のみ記 して

あるもの は,作 品が特定の名 を持 たないか,複 数作 品があ ることを示す。指 南書以外 のイ ンシ ャ

ー集 は,特 に代表 的な もの を参考 と して示 した。その他の作品 は上記参考 文献 を参照。

217

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221

表Ⅳ: 11-15世 紀 の指 南書 における書 簡構成の解 説

(注) Dabiriで < > で括 られている書簡構成部位 は,書 簡構成 とは別 に解 説 されてい る。

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