排出取引をめぐる “意味” の政治学...

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1. はじめに 今日,気候変動ガバナンスにおいて排出取引 1Emissions Trading: 以下, ET と表記)は,地域・ 国・国際の多層レベルで中心的な温室効果ガス Greenhouse Gases: GHG)排出削減策として位 置づけられている(Betsill and Hoffmann, 2011). 欧州連合(European Union: EU)が 2005 年に開 始した欧州域内排出取引制度(EU Emissions Trading System: EU-ETS)のように,豪州やニュー ジーランドなど京都議定書(Kyoto Protocol: KPGHG 排出削減義務を負う先進国では国内対策 手段として ET が導入されている.最近では韓国 や中国など発展途上国でも ET の導入が決定ある いは検討されている(Grubb, 2012).市場原理に 基づいた環境規制手段である ET は,自由主義的 な資本主義経済と共鳴することで,税やコマンド・ アンド・コントロールといった伝統的な規制手段 よりも支配的な地位を得てきた(Bailey, 2007; Newell and Paterson, 2010). 一方で,米国や日本での政策協議でみられたよ うに,ET はとりわけ産業界からの強い反対を招 き,気候変動の政治的な論争の中心を占めてきた ともいえる(Betsill and Hoffmann, 2011).1997 KP 締結で導入が決まった国際排出取引制度 International Emissions Trading System: IETSは,国連気候変動枠組条約締約国会議(Conference of the Parties: COP)における米国と EU の間の長 年の対立点だった(Cass, 2005).ET をめぐる論 争は,単に ET の制度枠組みがどうあるべきかと いった問いだけでなく,そもそも ET GHG 出削減策として適切な政策手段なのかといった問 いをも含意する.いいかえれば,気候変動ガバナ ンスがどうあるべきなのかというより広範な問い の中に,緩和策としての ET の正当性(legitimacyをめぐる論争があるのである(Stephan and Pater- son, 2012). ET の制度的特徴は規制対象の排出源全体の排 出許容量を固定し,各排出源に配分された実際の 排出量と等価の排出許可証(permit/allowanceの取引を認めることである.排出総量に上限 (キャップ)を設定し,排出許可証の取引(トレー ド)を認めるため, ET はキャップ・アンド・トレー ド(cap and trade)とも呼ばれる.経済理論上で 【学術研究論文】 排出取引をめぐる “意味” の政治学 ―日本の新聞報道におけるフレーミングと言説の経時変化― 朝山慎一郎 本稿は現在,主要な気候変動緩和策として位置づけられる排出取引の言説的な意味が日本の新聞報道においてどのよう に構築され,通時的に変化してきたのかを分析した.フレーミング理論に基づき,1997 年から 2010 年までの新聞報道 の批判的言説分析によって,排出取引に関する 6 つのフレームを同定した.排出取引のフレームは政策的な変化に伴い 通時的に変化しており,2001 年には批判的な言説から肯定的な言説へと排出取引の意味づけが大きく転換していた. 本稿の分析結果からは,排出取引のメディア言説が緩和策のあり方をめぐる規範と共鳴し,さらには現代の資本主義経 済のあり方をめぐる価値観をも内包していることが指摘できる. キーワード:排出取引,キャップ&トレード,気候変動,フレーミング,新聞報道 環境経済・政策研究 Vol. 7, No.2 2014.9, 1-13

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1. はじめに

 今日,気候変動ガバナンスにおいて排出取引1)

(Emissions Trading: 以下,ETと表記)は,地域・国・国際の多層レベルで中心的な温室効果ガス(Greenhouse Gases: GHG)排出削減策として位置づけられている(Betsill and Hoffmann, 2011).欧州連合(European Union: EU)が 2005年に開始した欧州域内排出取引制度(EU Emissions

Trading System: EU-ETS)のように,豪州やニュージーランドなど京都議定書(Kyoto Protocol: KP)で GHG排出削減義務を負う先進国では国内対策手段として ETが導入されている.最近では韓国や中国など発展途上国でも ETの導入が決定あるいは検討されている(Grubb, 2012).市場原理に基づいた環境規制手段である ETは,自由主義的な資本主義経済と共鳴することで,税やコマンド・アンド・コントロールといった伝統的な規制手段よりも支配的な地位を得てきた(Bailey, 2007;

Newell and Paterson, 2010). 一方で,米国や日本での政策協議でみられたように,ETはとりわけ産業界からの強い反対を招

き,気候変動の政治的な論争の中心を占めてきたともいえる(Betsill and Hoffmann, 2011).1997年の KP締結で導入が決まった国際排出取引制度(International Emissions Trading System: IETS)は,国連気候変動枠組条約締約国会議(Conference

of the Parties: COP)における米国と EUの間の長年の対立点だった(Cass, 2005).ETをめぐる論争は,単に ETの制度枠組みがどうあるべきかといった問いだけでなく,そもそも ETが GHG排出削減策として適切な政策手段なのかといった問いをも含意する.いいかえれば,気候変動ガバナンスがどうあるべきなのかというより広範な問いの中に,緩和策としての ETの正当性(legitimacy)をめぐる論争があるのである(Stephan and Pater-

son, 2012). ETの制度的特徴は規制対象の排出源全体の排出許容量を固定し,各排出源に配分された実際の排出量と等価の排出許可証(permit/allowance)の取引を認めることである.排出総量に上限(キャップ)を設定し,排出許可証の取引(トレード)を認めるため,ETはキャップ・アンド・トレード(cap and trade)とも呼ばれる.経済理論上で

【学術研究論文】

排出取引をめぐる “意味” の政治学 ―日本の新聞報道におけるフレーミングと言説の経時変化―

朝山慎一郎

本稿は現在,主要な気候変動緩和策として位置づけられる排出取引の言説的な意味が日本の新聞報道においてどのように構築され,通時的に変化してきたのかを分析した.フレーミング理論に基づき,1997年から 2010年までの新聞報道の批判的言説分析によって,排出取引に関する 6つのフレームを同定した.排出取引のフレームは政策的な変化に伴い通時的に変化しており,2001年には批判的な言説から肯定的な言説へと排出取引の意味づけが大きく転換していた.本稿の分析結果からは,排出取引のメディア言説が緩和策のあり方をめぐる規範と共鳴し,さらには現代の資本主義経済のあり方をめぐる価値観をも内包していることが指摘できる.

キーワード:排出取引,キャップ&トレード,気候変動,フレーミング,新聞報道

環境経済・政策研究Vol. 7, No.2 (2014.9), 1-13

は ETはキャップによって炭素価格(carbon

price)を設定することができ,トレードによって経済効率的な排出削減を達成することができる(例えば,前田,2011).ただ,実際の政策ではキャップのカバー範囲や設定方法,排出許可証の配分方法によって緩和策としての効率性は変わり,政治的受容性も変わりうる(IPCC, 2007).これまで ETに関する研究は大部分が制度設計の最適化や税など他の政策手段と比較した政策の有効性に関する経済学的な分析で,緩和策としてのETの"意味"を再帰的に問う政治学的な研究は少ない(Stephan and Paterson, 2012).しかし,Cass(2005)が指摘するように,ETが今日のように主要な緩和策として当然視されるようになった理由を理解するためには,ETの言説的な"意味"をフレームとして読み,その変化を追っていくことが重要になる. 本研究は,GHG排出削減策としての ETの意味が日本社会の公共的な言説空間でどのように構築され,通時的に変化してきたのかという問いに答えることを目的とする.日本社会の公共言説の事例として,本研究では ETに関する日本の新聞報道(具体的には,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞の三大全国紙;以下,三大紙)を採り上げた.分析手法としてはフレーミングの概念に基づいた批判的言説分析(Critical Discourse Analysis: CDA)を用いた.ETは 1980年代後半から現在まで緩和策として発展し,それに伴い気候変動政策のあり方自体も変化してきた(Voß, 2007).ETの政策的な発展という文脈変化の中で,新聞報道における ETの言説的な意味はどう変化してきたのか.本稿は ETのフレームの歴史的な変化に分析の焦点を当てる2).

2. 排出取引の政策的な発展

 緩和策としての ETの政策的な歴史は 1980年代後半頃に遡ることができる(Paterson et al.,

2011; Voß, 2007).1960年代に経済理論的な基礎が形成された ETは,70年代に米国で酸性雨対策のための規制手段として採用された経験を元に,気候変動対策に応用されてきた(Gorman

and Solomon, 2002; Voß, 2007).80年代後半には

米国と英国で ETを研究する経済学者と政策決定者の小さな政策グループが形成され,その後この米英の 2つのグループを軸に緩和策としての ET

の発想が発展していった(Paterson et al., 2011).しかし,1997年の KP交渉時,KPの柔軟性メカニズムとして米国が提案した IETSは米国と EU

との間の最も激しい論争の的であった.IETSをめぐる米国と EUの間の対立は,Cass(2005)によれば,GHG排出削減策のあり方をめぐる規範の衝突であったといえる.米国が経済効率性の観点から IETSの有効性を主張した一方で,EUは国内での排出削減策を重視し,それゆえ IETSは国内対策を形骸化させようとする米国の政治的な意図として拒否された.一方で,EUは KP締結以降,EU域内での対策手段としては ET導入の方向に政策の舵を切っていった(Wettestad, 2005;

Skjærseth and Wettestad, 2008).また,炭素税を回避したかった BPや Shellがその代替策としてETを実験的に導入するなど,ETは経済界(特に金融業界)からの高い関心を集め,その後のデンマークや英国での ET導入につながっていった(Meckling, 2011; Paterson, 2012; Voß, 2007). 緩和策としての ETの位置づけは 2001年に大きく転換する(Cass, 2005; Paterson et al., 2011;

Voß, 2007).それまで,EUは域内での ET導入へと政策転換しつつあったものの,IETSについてはその運用に制限を設けるように要求するなど反対の姿勢を堅持していた.しかし,2001年の米国の KP離脱によって,ETは国内対策の責任を逃れるための戦略という烙印から解かれ,むしろ米国抜きの KPを救出するための政策としてフレーミングされるようになる(Cass, 2005).すなわち,米国の KP離脱は ETのフレーミングを経済効率的な GHG排出削減策へと変更させる契機として作用したのである.さらに,COP7のマラケシュ合意は IETSの制度枠組みを決定することで,各地域・国レベルでの ET導入を促す重要な契機となった(Paterson et al., 2011).EUではその後,欧州委員会の提案した EU-ETSが 2003年に欧州議会で承認され,2005年に開始された.米国でもニューヨーク州など北東部の複数の州が 2005年に地域温室効果ガスイニシアティブ(Regional

2 朝山:排出取引をめぐる“意味”の政治学

環境経済・政策研究Vol. 7, No.2 (2014.9)

Greenhouse Gases Initiative: RGGI)の実施で合意した.このように,緩和策としての ETに対する期待は 2001年以降,急速に拡大していった(Pat-

erson, 2012; Voß, 2007).この時期の ETに対する政策的な期待の背景には,Voß(2007)や Pater-

son(2012)が述べるように,ETが単に経済効率的な規制手段としてフレーミングされただけではなく,ETが炭素市場という新たな経済市場を創出し,金融業界などの経済アクターを囲い込むことができたという政治経済的な要因があった.つまり,ETは環境規制(GHG排出削減)と経済を統合し,持続可能な発展を志向する政策(Bailey

et al., 2011)として正当視されるようになったのである. 一方,日本では 2005年に環境省による自主参加型排出取引制度(Japanʼs Voluntary Emissions

Trading Scheme: JVETS)が開始されていたものの,国内経済全体をカバーする ET導入をめぐる政策協議は 2007年以降に本格化した3).KPの削減目標達成のための国内対策を協議した 2007年の環境省と経済産業省の合同審議会では ETをめぐって両省の間の対立が先鋭化した.2008年には当時の自由民主党・福田康夫政権が内閣主導でETの政策協議を進めたことで,省庁間だけでなく産業界の間でも ETをめぐる論争が巻き起こっていった4).実際,日本経済団体連合会が「排出枠を行政が決定することは官僚統制を招き,企業の自主性を阻害する」(日本経団連,2007)とET導入に強硬に反対したのに対して,経済同友会は EU-ETSのような義務的な国内制度の実施を支持していた(逸見,2011).さらに,2009年の衆議院議員選挙で自民党を破って政権交代を実現した民主党が ETの国内制度導入を選挙のマニフェストに掲げるなど,ETは選挙の争点の 1つに位置づけられるほどの政治イシューと化していった.民主党政権は 2010年,公約通り ET導入を含めた地球温暖化対策基本法案を閣議決定したが,ETをめぐる論争は産業界からの反対だけでなく政権内部での政治的な対立へと発展していった(明日香,2011;飯田,2011).その後,民主党政権下の ETの政策協議は,排出規制の方法として排出総量の絶対値による規制だけでなく

生産量単位当たりの排出量を規制する「原単位方式」を認めるなど次第に規制を弱める方向へと進み(飯田,2011),最終的には 2010年末に実質的に導入が見送られる結果となった(明日香,2011).このように,2007年以降,ETは日本の気候変動政策を問う試金石として政策協議の中心に位置づけられ,多様なアクターを巻き込んだ論争の的になっていった.

3. 分析枠組みとデータ

3.1 フレーミングと批判的言説分析 本稿では,新聞報道における ETの言説を明らかにするために,フレーミングの概念を援用する.フレーミングはメディア・コミュニケーション研究における主要な概念であり,これまでに長い理論的な発展を経てきた一方で,研究アプローチの認識論的な違いなどから多様な定義づけがされてきた(DʼAngelo and Kuypers, 2010).最も頻繁に引用される Entman(1993)によれば,フレーミングとは,選択(selection)と顕出(salience)のプロセスを包含し,「問題の定義」「原因の診断」「モラル評価」「対策の提案」といった作用を通じて,ある問題の意味を一定の方向に構築することと定義される.本稿では,Entmanの定義するフレーミングの第 1の作用(「問題定義」)の観点に沿って,GHG排出削減策としての ETの政策的な特徴を規定する言説としてフレームの概念を用いる.フレームは具体的な政策ポジションと同一ではなく,そのため ETのフレームには緩和策としての ET導入の是非について異なる政策的な立場(支持・中立・反対)が内包される場合もある(Nisbet, 2009). 新聞テキストの分析は CDAを用いて行った.CDAは言説の文脈依存性に着目し,文脈との関係に注意しながらテキストの定性的な読解を行い,言説の意味を解釈する手法である(van Dijk,

1988;Fairclough, 1995).本稿では ETの政策的な歴史を(広義の意味で)ETの言説の文脈と捉え,文脈の経時的な変化に伴う ETの言説(フレーミング)の変化を通時的に分析した(Carvalho,

2008).後述のように,ETの政策的な変化に沿って 3つの時代区分(フェーズ)に分け,各フェー

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環境経済・政策研究Vol. 7, No.2 (2014.9)

朝山:排出取引をめぐる“意味”の政治学

ズでフレームの形態を詳細に分析した. フレームの同定作業はオープンコーディングによるテキストの精読という帰納的なアプローチに基づいて行った(van Gorp, 2010).メタファーや修辞法,類例,文章構造など一定の共通した言語的記述のパターンは,フレームに特定の意味を付与する「フレーミング・デバイス」(Gamson and

Modigliani, 1989;Pan and Kosicki, 1993;van

Gorp, 2010)として作用する.本稿ではまず,これらフレーミング・デバイスを同定し,その後,類似するフレーミング・デバイスを統合してフレームを同定した.フレーミング・デバイスはフレームの同定根拠として 4.4節に示す.分析単位は新聞記事 1つで,各記事でフレームの有無を調べた.フレームは相互排他的ではなく,1つの記事中に複数のフレームが同定される場合もあれば,フレームが一切同定されない場合もある.

3.2 分析データ 分析対象データは 1997年から 2010年までのETに関する三大紙の新聞記事で,各新聞社が提供するオンラインデータベースを利用して収集した(図 1).検索条件は「排出量取引」「排出権取引」「排出枠取引」「排出許可証取引」「排出取引」「キャップ・アンド・トレード」のいずれかの単語を含む本紙記事(地方欄は除外)である.ET

に無関係の記事,他と重複する記事,用語解説,訃報,書評,社告,イベント告知,年表・日程表は分析対象から除外した5).最終的な分析対象データは 3紙合計で 1,972件(朝日:812;毎日:569;読売:591)である.

 新聞報道を分析対象とした理由は,Nisbet (2009)が述べているように,政策決定者や一般市民がメディア・フレームを政策理解のための「解釈的な近道(interpretative shortcut)」として用いることで,新聞報道が気候変動の公共言説を構成する重要なファクターとして作用していると考えられるからである.Sampei and Aoyagi(2009)は気候変動に関する世論と新聞報道との相関を明らかにし,新聞報道が公衆理解に強い影響を及ぼしていると指摘する.また,日本の新聞(とりわけ全国紙)は記者クラブ制度やメディア系列システムを通して日本のメディア業界の情報をコントロールし,それによって日本の政治システムに多大な影響を及ぼしている(Freeman, 2000).現代社会ではインターネットなど新興メディアの重要性が増す一方で,日本のメディア業界における新聞の支配構造は大きく変化しておらず,新聞の重要性はいまだに大きい.さらに,ETのような複雑な政策手段に関する報道では,テレビよりも新聞の方が圧倒的に情報量が多いと考えられる.

4. 排出取引のフレーミング

 本稿は ETの政策的な変化の中でフレームの経時変化に分析の焦点を当てた.2節で述べたように,1997年の KP締結以降,ETの政策的な位置づけはダイナミックに変化してきた.1997年から 2001年までは緩和策としての ETの位置づけをめぐる米国と EUの間の規範の対立があった(Cass, 2005).しかし,ETは経済効率的な対策かあるいは国内対策の責任を回避するためのレトリックかといった論争は,2001年に転換点を迎

図 1 排出取引に関する新聞記事の年次推移

4 朝山:排出取引をめぐる“意味”の政治学

環境経済・政策研究Vol. 7, No.2 (2014.9)

えた.米国の KP離脱とマラケシュ合意を契機に,ETは経済界からの強い関心を集め,経済効率的かつ新たな経済市場をもたらす政策として政策的な発展の時期を迎える(Paterson, 2012; Voß,

2007).日本の文脈では,国内対策として ETの政策協議が本格化するのは 2007年である.それ以降,ETは日本の気候変動政策のあり方を左右する試金石として,政府省庁だけでなく産業界や政治家・政党からの強い関心を集める政治イシューとなる.いいかえれば,2007年以降,ET

が激しい政策論争の的になることで,再帰的に日本の気候変動政策のあるべき姿が問い直されてきた.このような ETの政策的な歴史を踏まえ,本稿では 1997年から 2010年までの新聞報道を 3

つのフェーズに区分し,各フェーズで ETのフレームを詳述する.

4.1 ‌‌フェーズ 1:IETSをめぐる国際交渉(1997-2001)

 フェーズ 1(1997-2001)は,KPにおける IETS

の位置づけを中心に,米国と EUが GHG排出削減策のあり方をめぐって対立を繰り返した時期である.そこでは,ETは経済効率的な緩和策かあるいは国内での削減コミットメントを回避したい米国によるレトリックかといった ETの意味をめぐる対立があった.このような文脈の中,フェーズ 1(特に KP交渉時)では ETは―米国の IETS

提案に対する EUの批判を反映して―実質的なGHG排出削減を形骸化させる〈抜け穴〉6)として顕著に描かれていた.例えば,1997年 10月 23

日付夕刊の朝日の 2面記事7)では,IETSは「先進国内での削減義務をあいまいにし,義務を他国に転嫁する」8)制度として批判される.同様に,IETSは「削減義務を減らすための抜け道」(毎日

1997年 10月 27日 夕刊 5面)や「先進国の削減負担を軽くする抜け穴」(読売 1997年 11月 11日

15面)と形容され,IETSに反対する途上国の声が引用される.フェーズ 1では,フェーズ全体を通じて,「抜け穴」「抜け道」「骨抜き」(例えば,朝日 1997年 11月 27日 4面;毎日 1998年 11月3日 5面;読売 2000年 11月 25日 2面)といった修辞法を用いることで,ETを実質的な GHG

排出削減を形骸化させる政策として表象する〈抜け穴〉フレームが顕出していた. 一方,フェーズ 1では ETを経済効率的な GHG

排出削減を可能にする政策として表象する〈経済効率〉フレームも同定された.ETは「一番安い費用で対策がとれる手法」(朝日 1997年 11月 27

日 2面)「温室効果ガス削減のために経済的に最も効果的な方法」(読売 1997年 10月 18日 9面)と描写され,緩和策としての有効性が強調される.また,〈経済効率〉と類似したフレームとして,ETを KPで合意した「(GHG排出削減)目標達成を容易にするため」(毎日 2000年 4月 13日 5

面)の政策措置として描く〈削減促進〉も同定された.〈削減促進〉では,ETは経済的インセンティブなどによって GHG排出削減を促す手段―「(GHG排出)削減の手段と場所を広げる「助け舟」」(朝日 2001年 4月 12日 15面)―として描かれる. フェーズ 1の後半(特に 2001年)では,〈抜け穴〉が減退する一方で,新たに〈経済便益〉フレームが顕著に同定されるようになる.〈経済便益〉では,ETは企業などが GHG排出削減によって経済的利益を獲得できるように誘導する政策として表象される.例えば,日本国内での将来的なET導入を見据える経済界の動向について報じる読売の記事(2001年 8月 17日 8面)では,ET

は「排出枠を売って収益を上げる環境ビジネス」と形容される.2001年 7月 28日付夕刊の朝日の1面記事は「CO 2排出量取引ビジネス始動 国内市場 1兆円に?」の見出しを掲げ,ETを企業のビジネス戦略の一部として描出する.つまり,〈経済便益〉では,ETは企業に GHG排出削減の「ビジネスチャンス」(読売 2001年 12月 26日 10面)を提供すると表象されるのである. このように,フェーズ 1では当初,ETは KP

で合意した排出削減義務を回避するための〈抜け穴〉としてフレーム化されていた.しかし,2001

年を境目に ETのフレームは,企業に「ビジネスチャンス」をもたらし,経済成長を促進する政策として ETを描く〈経済便益〉へと変化する.COP7のマラケシュ合意について論じる 2001年11月 11日の朝日の社説(2面)の次の一文は,〈抜

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環境経済・政策研究Vol. 7, No.2 (2014.9)

朝山:排出取引をめぐる“意味”の政治学

け穴〉から〈経済便益〉への ETのフレームの変化を端的に示している:「(日本が)これ以上後ろ向きの姿勢を続ければ,議定書が示すシグナルを見誤り,世界市場での排出量取引に乗り遅れたり,環境ビジネスに参入しそこなったりしなかねない」.

4.2 ‌‌フェーズ 2:排出取引の普及と EU-ETS実施(2002-2006)

 フェーズ 2(2002-2006)は,ETが経済界からの強い関心を集め,経済効率的な対策としてだけでなく新たな経済市場を創出する政策手段として,EU-ETSを中心に政策的に発展する時期である.それまでの IETSをめぐった米欧の間の規範の対立から緩和策としての期待が醸成されていく.実際,フェーズ 2では,フェーズ 1の後半に同定された〈抜け穴〉から〈経済便益〉へのフレーム変化に沿って,〈経済便益〉がより顕著に同定された.GHG排出削減によって経済的利益を獲得するための「ビジネスチャンス」(例えば,朝日 2003年 11月 5日 3面;毎日 2004年 11月 7日

1面;読売 2005年 4月 18日 10面)として,ET

はより明瞭に企業活動の一部として描かれる.CO2(の排出許可証)を指す用語に金融商品や経済的な有価物を含意するメタファー―「金のなる「気」」(朝日 2004年 11月 4日 4面)「金の卵」(毎日 2005年 2月 7日 3面)「エコ商品」(読売 2005

年 2月 8日 1面)―が用いられるなど,ETとビジネスとの関連性が強調される.ETは「道徳的理由だけでなく,他社より一歩先を行くというビジネス上の意味も大きい」(読売 2003年 12月 25

日 15面)政策として意味づけされる. さらに,フェーズ 2では,〈経済便益〉に加えて,ETを世界的に導入が拡大する革新的な政策手段として表象する〈先進性〉が顕著に同定された.例えば,2002年 3月 12日付夕刊の朝日の 2面記事は,英国による ET導入を「世界で初めての試み」と記述し,英国の政策的な先進性を描き出す.同様に,2002年 9月 2日の毎日の 28面記事は,英国の ETを「温室効果ガスの排出量を企業間で売買する世界初の公的制度」と記述する.〈先進性〉では,GHG排出削減のための新しい対応策とし

て ETの政策的な革新性が強調され,諸外国でETが急速に普及する状況―「海外では,その打開策として,目標以上に削減した CO 2を国内外で売買できる「排出量取引」がすでに始まっている」(読売 2002年 11月 13日 38面)―が描写され,さらには ET導入に向けた日本の対応の遅さ―「グローバル競争のいま,排出権取引において日本が他国に後れをとることは大きな過ち」(朝日 2002年 10月 17日 15面)―が指摘される. 〈先進性〉は 2005年の EU-ETS開始によって,より顕著に同定されるようになる.EU-ETSの実施を主導した欧州委員会が「先進国で最も温暖化対策に積極的な欧州の「司令塔」」(朝日 2005年1月 1日 37面)と形容されるように,ETを世界に先駆けて導入した EUの政策的な〈先進性〉が強調される.次の毎日の記事(2005年 1月 8日

9面)のように,EU-ETSの実施はその後の ET

の世界的な普及のきっかけになるという「期待」が醸成される:欧州連合(EU)は今月から,独自の「排出量取引」制度を世界に先駆けて始めた.(…)これを契機に世界的な排出量取引が活発化する可能性が高く,欧州企業だけでなく日本企業の関心も高まっている.

2005年 1月 24日の読売の社説(3面)は,「EU

が先駆ける排出量取引」の見出しを掲げ,「排出削減の現実的かつ有力な手法」である ETが EU

から派生して他の国・地域でも普及していく状況を描出する:「EUの動きに合わせて,EU加盟国以外でも,排出量取引制度の導入を進める動きがある」.そして,EU-ETS実施によって EUが世界の気候変動政策を先導するのとは対照的に,日本は ET導入に向けた政策協議が一向に進まない「後進国」として描き出される:「世界的に(排出取引)制度導入の機運が高まっている.日本も経験を積んでおかないと,取り残されてしまう」(朝日 2006年 11月 10日 37面). このように,フェーズ 2では,フェーズ 1から一転して,ETは EUを中心に世界中で導入が進む革新的かつ経済成長を促す政策手段として表象されていた.フェーズ 2における ETに対する肯定的な言説は〈削減促進〉がより顕著に同定され

6 朝山:排出取引をめぐる“意味”の政治学

環境経済・政策研究Vol. 7, No.2 (2014.9)

たことからも窺える.ETは「排出量割り当てにより確実な削減も見込める」(読売 2006年 2月28日 31面)「(京都)議定書の削減目達成に向けた有力な手段」(毎日 2004年 9月 8日 夕刊 5面)と形容される.また,フェーズ 2では〈経済効率〉がフェーズ 1と同様に同定された:例えば,「最小のコストで最大の削減効果を生む」(朝日 2002

年 11月 19日 2面)「社会全体でみると,最も安い費用で削減できる」(読売 2004年 10月 4日 39

面)「より安い費用で高い削減効果がある」(毎日

2006年 9月 9日 12面).

4.3 ‌‌フェーズ 3:日本における排出取引の政治イシュー化(2007-2010)9)

 フェーズ 3(2007-2010)は,日本の気候変動の政策協議の中で ET導入の是非が主要な政策論争の 1つになった時期である.2007年以降,ET

は政府省庁だけでなく産業界や政治家・政党からも強い関心を集める政治イシューとなり,日本の気候変動政策のあり方を問い直す試金石として位置づけられた.このような文脈の中,フェーズ 3

の前半(2007-2008)では,フェーズ 2と同様に〈先進性〉が顕著に同定された.2007年独ハリゲンダム・G8サミットについて論評する朝日の社説(2007年 6月 6日 3面)は,ETが EUを中心に普及し,KPを離脱した米国でも導入に向けた動きがある状況を引き合いに出しながら,日本国内での ET導入の必要性を唱える:数十年先をにらんで産業や生活を省エネルギー型・脱炭素型に変えていく仕掛けがほしい.ひとつが「排出量取引」だ.(…)この制度は欧州ではすでに本格化し,米国でも州レベルが導入を決めている.最近は東京都も導入の方針を発表した.各国に削減義務を課し,排出量取引を促す方式は,これまでの国際合意の果実である.揺るがしてはならない.緩和策としての ETの政策導入は「世界の潮流」(読売 2007年 11月 24日 13面)といった用語で形容される.その一方で,ET導入の「世界的な流れ」に乗り遅れる日本の状況に対する「危機感」が語られる:「欧米を中心に排出量取引制度が世界的な流れになる可能性があり,「このまま

では日本が取り残される」との危機感がある」(毎日 2008年 5月 25日 7面).2008年にオフィスビルを対象に ETの導入を決めた東京都に関しては,日本政府よりも先進的―「国に先駆けた導入」(朝日 2008年 6月 25日 夕刊 1面)「国に先駆けて盛り込んでいる」(毎日 2008年 6月 26日 2面)―として,東京都の政策的な先導が称えられる. また,フェーズ 3の前半では,〈削減促進〉がこれまで以上に顕著に同定された.ETは「排出総量が明確で計画通りの CO 2削減が達成できる」(毎日 2008年 6月 25日 12面)だけでなく再生可能エネルギーなどの GHG排出削減技術の開発を促進する政策―「脱温暖化の技術開発を後押し」(朝日 2007年 12月 2日 3面)「技術革新を起こす促進剤」(読売 2008年 7月 4日 9面)―としても表象される.〈先進性〉と〈削減促進〉が顕出することで,ETは「気候変動を抑える最も洗練された方法」(毎日 2008年 2月 15日 3面)「温暖化対策の切り札」(朝日 2007年 11月 11日 8面)として,政策的な有用性が強調される. 一方,フェーズ 3の前半では,日本国内でのET導入をめぐる論争が拡大するにしたがい,ET

に批判的なフレームとして〈抜け穴〉が(フェーズ 2と比較して)より顕著に同定された.例えば,IETSを通じた(ロシアや東欧諸国のホットエアと呼ばれる)排出許可証の購入は「削減率の帳尻合わせ」(読売 2008年 1月 15日 3面)や「海外の削減分をさらに増やしてつじつまを合わせ(る)」(朝日 2008年 3月 31日 3面)行為として批判される.EU-ETSは「金融機関による利ざや狙いの売買」(読売 2008年 7月 12日 11面)や「金融やブローカーなど利益目的」(毎日 2008年 4月5日 夕刊 1面)の取引が中心で,本来の GHG排出削減とは異なる「マネーゲーム」(例えば,朝日 2008年 9月 11日 夕刊 2面;毎日 2008年 6月30日 11面;読売 2008年 9月 18日 9面)に過ぎないと否定的に描かれる. さらに,フェーズ 3の前半では,ETを企業などの経済的な負担を増大させたり,自由な経済活動を阻害したりする政策として表象する〈経済規制〉が顕著に同定された:例えば,「温室効果ガス削減に伴う費用増で国際競争力がそがれかねな

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朝山:排出取引をめぐる“意味”の政治学

い」(読売 2008年 1月 8日 8面)「自由主義経済の原則を損なう」(朝日 2007年 11月 5日 4面).ETは炭素価格を設定することで GHGの排出行為にコストを生じさせる政策―「CO 2に価格をつけ,排出にコストがかかる仕組み」(毎日 2007年5月 8日 17面)―として描かれる.企業に GHG

排出削減のための追加的なコストを増加させるため,ETは「経済を悪化させる」(朝日 2007年 7

月 22日 9面)政策として批判される.2008年に自民党・福田政権下で協議された日本国内でのET導入ついて報じる新聞各紙では,ETは「企業の国際競争力を損なうだけ」(読売 2008年 2月3日 9面)で「所得の低い人ほど負担が大きいという逆進性の高い政策」(毎日 2008年 7月 30日

12面)と記述される.〈経済規制〉では,ET導入におけるキャップの設定が「企業活動の制限につながる」(朝日 2007年 10月 6日 13面)「官僚統制」(読売 2007年 8月 4日 1面)として描写される. このように,フェーズ 3の前半では,〈先進性〉や〈削減促進〉といった ETに肯定的なフレームが顕出する一方で,〈経済規制〉といった ETに批判的なフレームも同時に顕出する.ETの相反するフレームの混在は,1つの新聞記事中に〈先進性〉と〈経済規制〉が同時に同定されたことに端的に表われている.例えば,2007年 12月 1日の朝日の 11面記事は,ETを「世界的に導入の動きが広がる」政策と記述する一方で,国内でのET導入は「日本経済を破綻させる」と反対する経済界の主張を両論併記する.2007年の環境省と経産省の合同審議会について報じる新聞各紙の見出しには,「環境省と経団連,温室ガスの排出権取引で攻防」(読売 2007年 12月 11日 9面)や「排出権取引の導入是非,結論先送り 世界の潮流,日本は慎重」(毎日 2007年 9月 3日 9面)といった文句が並び,ETをめぐる論争が紙面上にも描き出される.産業界の反対を含めた ETをめぐる政策論争は,ETの相反するフレームの混在によって新聞紙面上にも言説的に再生産されているといえる. 民主党政権が誕生したフェーズ 3の後半(2009-2010)では,〈先進性〉が減退するのに対して,〈経

済規制〉がより顕著に同定された.「国民負担」(毎日 2009年 9月 9日 朝刊 5面;読売 2009年 9月6日 9面)や「家計負担」(朝日 2009年 8月 29

日 3面)といった言い回しによって,ET導入に伴う GHG排出削減コストの上昇が一般市民の生活にも悪影響を及ぼすと言及される.日本国内での ET導入は「企業の負担増に直結し国際競争力の足かせになる」(毎日 2009年 11月 7日 3面)だけでなく「実質的に国民に負担増を求める」(読売 2010年 3月 7日 9面)「雇用の機会が失われる」(朝日 2010年 6月 11日 7面)政策としても表象される.また,IETSを通じた海外からの排出許可証の購入は不必要な財政投資―「税金の無駄使い」(毎日 2009年 3月 25日 8面)「国富の流出」(読売 2010年 7月 8日 夕刊 1面)―として描かれる. 一方で,フェーズ 3の後半では,〈削減促進〉がフェーズ 3の前半と同様に同定された.ETは「企業や国民に一層の削減努力を促し,低炭素化につながる新たな産業や技術を育むことが期待される」(2009年 11月 25日 朝日 3面)「成長を阻害するのではなく,むしろ促進しうる」(読売

2009年 9月 21日 2面)政策として描かれる.民主党政権が掲げた GHG排出削減の中期目標(2020年までに 1990年比 25%減)を達成するための「最も有力な手段」(朝日 2010年 3月 28

日 9面)として,日本国内での ET導入の必要性が語られていた.しかし,フェーズ 3の後半では,相対的に〈経済規制〉が非常に顕著に表出することで,ETは GHG排出削減コストを上昇させ,経済や雇用に悪影響を及ぼす政策としてより批判的に表象されていた. さらに,フェーズ 3の後半では,〈抜け穴〉のフレーミングにおいて緩和策としての ETについて相反する意味が混在するようになる.すなわち,この時期の〈抜け穴〉には日本国内での ET導入について全く異なる立場からの批判が内包されていた.一方で,それ以前のフェーズにおける〈抜け穴〉と同様に,ETは「金銭的な動機から,容易な削減目標を獲得しようとする駆け引き」(読売 2009年 10月 11日 1面)や「マネーゲーム」(毎日 2009年 11月 7日 3面)として描かれ,日本国

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内での ET導入は「排出削減にどれほど結びつくかは,未知数」(読売 2010年 4月 5日 3面)だと批判される.他方で,民主党政権下の ETの政策協議がキャップの設定方法として相対的な規制目標の「原単位方式」を認める方向へ議論が進んだことに関連して,「原単位方式」を認めた日本のETの国内制度は「生産量が増えれば排出量も増え,結果的に削減につながらない」(読売 2010年3月 12日 1面)と批判される.つまり,"日本版ET"は,本来あるべき ETの制度枠組みが「骨抜き」(毎日 2010年 3月 10日 3面)にされた,排出削減どころか増加を許容する「抜け穴」(朝日 2010年 3月 10日 5面)として批判されるので

ある.このように,フェーズ 3の後半では,〈抜け穴〉における ETの意味をめぐって相反した見方―緩和策としての ETそのものの有効性を疑問視する見方と,ETの経済理論上の有効性を認めながら,実際の政策ではその有効性が形骸化されている点を問題視する見方―が混在していた.

4.4 ‌‌まとめ:排出取引のフレームの特徴と同定根拠

 本研究では三大紙の報道において緩和策としての ETの意味を規定する 6つのフレームを同定した.各フレームの特徴と同定根拠は表 1に示す通りである.各フレームが分析対象の記事数の中で

表 1 三大紙における排出取引のフレームの特徴と同定根拠

フレームの特徴 フレームの同定根拠

抜 け 穴

ETを実質的な GHG排出削減を形骸化させる政策として表象するフレーム>  排出許可証の取引には実際の排出削減が伴わず,金融機関などの投機対象にすぎないと示唆する

>  原単位方式など緩いキャップの設定がGHG排出の増加を招くことに対する批判を示唆する

●「抜け穴」などの修辞法を用いて,ETが GHG排出削減に貢献しないと言及する記述●排出許可証の取引が KPの削減目標などを有名無実化させていると言及する記述●「マネーゲーム」などの修辞法を用いて,ETが金融機関の投機のための市場であると示唆する記述●原単位方式など緩いキャップの設定方法の問題を指摘し,それがむしろ排出量の増加を招くと言及する記述

経済便益

ETを企業などが GHG排出削減によって経済的利益を獲得できるように誘導する政策として表象するフレーム>  ETが企業活動の一部で,CO2(の排出

許可証)を経済的な有価物と示唆する

●ETによって排出許可証に経済的価値が付与され,GHG排出削減に経済的利益が生まれる様相について言及する記述●GHG排出削減が企業活動の一部で,ETが新たな経済市場や「ビジネスチャンス」を提供すると言及する記述

経済規制

ETを企業などの経済的な負担を増大させたり,自由な経済活動を阻害したりする政策として表象するフレーム>  GHG 排出にコストが生じることで,経済や雇用,一般市民の生活に悪影響を及ぼすと示唆する

>  キャップの設定は経済統制であると示唆する

●ETによって GHG排出にコストが生じると言及する記述●ETが企業のコスト負担を増加させ,経済悪化や企業の競争力低下,雇用減少などの影響を及ぼすと言及する記述●「国民負担」などの修辞法を用いて,ET が一般市民や消費者の生活に影響を及ぼすと言及する記述●キャップの設定が企業の経済活動を制限すると言及する記述

先 進 性

ETを世界的に導入が拡大する革新的な政策として表象するフレーム>  EUを中心に海外で ETが普及する一

方で,日本国内での政策協議が進展しないことに対する批判を示唆する

●「世界の潮流」などの修辞法を用いて,ET が海外で普及する様相について言及する記述●ET 導入が日本で進展しないことを批判的に言及する記述●EU-ETS を実施する EU の気候変動政策が先進的であると言及する記述●東京都の ET 導入を日本政府に先駆けた進歩的な政策として言及する記述

経済効率ETを市場原理に基づいた経済効率的なGHG 排出削減策として表象するフレーム

●ETを排出削減のコストを最小化する政策として言及する記述●ETを経済効率的な排出削減を促す政策として言及する記述

削減促進

ETを KPの削減目標達成を補助する政策として表象するフレーム>  キャップの設定によって確実な排出削減が促進されると示唆する

●ETを KPの削減目標達成を補助する手段として言及する記述●ETが排出削減の技術開発を促進すると言及する記述●「切り札」などの修辞法を用いて,キャップの設定が確実に排出削減を可能にすると言及する記述

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占める割合(フレームの顕出頻度)は図 2に示す通りである10).なお,本稿で示すフレームの顕出頻度はあくまでもフレーム間の比較のための相対的な指標であり,三大紙全体の報道傾向を把握するための補助的なデータであることに留意しなければならない.これは本研究が CDAというテキストの定性的な解釈に基づいた分析手法を採用するために生じる分析結果のバイアスのためである.

5. 考察と結論

 本研究では新聞報道における ETのフレームがETの政策的な変化に沿って通時的に変化していることを明らかにした.ETの言説は各々の時代の文脈に依存し,文脈の変化に伴って変化する.KP交渉からマラケシュ合意までの時代では ET

は実質的な GHG排出削減を形骸化させる〈抜け穴〉として批判的に表象されていた.しかし,新聞報道のフレームは 2001年を境目に大きく変化し,ETは企業の経済活動を低炭素化へと誘導する一種のビジネスチャンスとして肯定的に表象されるようになった.その意味で,2001年は ET

の言説的な意味づけを転換させる重要な契機(critical discourse moment)(Carvalho, 2008)として作用したといえる.同時に,2001年は実際の政策の文脈においても ETの政策的な転換点となっており(Cass, 2005; Paterson et al., 2011; Voß

2007),ETのメディア言説と政策的な文脈の相関を示唆している.

 さらに,新聞報道をより詳細に読み解くと,2001年は ETのフレームを変化させる転換点として作用した一方で,ETを排出許可証の取引すなわちトレードの機能のみから表象する報道傾向という点では,三大紙の報道に変化はみられなかった.例えば,2001年までの報道は ETを「温室効果ガスの排出権を,国と国との間で売買できる」(読売 1997年 10月 4 夕刊 1面)「温室効果ガスの排出量を,金銭で売買する」(毎日 2001年 3

月 3日 夕刊 2面)制度として描出していたが,ETのトレードの機能のみに焦点を絞った報道傾向は 2002年以降も同様であった:例えば,「途上国などから CO 2の削減枠を買い取って目標を達成する排出権取引」(朝日 2004年 9月 2日 9面)11).実際,フェーズ 1と 2では,ETの制度的特徴について言及する記事12)(フェーズ 1:289件,フェーズ 2:205件)のうちトレードのみについて記述する記事の割合が各々85%と 65%と大部分を占め,排出許容量の固定化というキャップの機能は相対的に捨象されていた.一方,フェーズ3では,トレードのみの記事の割合(631件中26%)は減少し,キャップの機能がより明確に記述されるようになる:例えば,「全企業に排出枠を割り当て,達成可能な企業とできない企業とで排出枠を売買する「キャップ・アンド・トレード」方式による排出権取引」(読売 2007年 7月 25日

9面)13).これはキャップの設定に関連したフレームである〈経済規制〉と〈削減促進〉がフェーズ

図 2 三大紙における排出取引のフレームの経時変化

10 朝山:排出取引をめぐる“意味”の政治学

環境経済・政策研究Vol. 7, No.2 (2014.9)

3ではより顕出していた結果からも推察できる. いいかえれば,2006年までの新聞報道では ET

は―文字通り―排出許可証の取引(トレード)を自由に認めるだけ

4 4

の制度として捉えられていた.ただし,そのトレードをめぐる解釈が 2001年を境に変化したのである.2001年まではトレードは(海外の)排出許可証の購入によって(国内の)GHG排出削減を装う行為として批判され,それが〈抜け穴〉フレームとして表出していた.一方,2001年以降ではこのトレードの解釈が,ETのフレームが〈抜け穴〉から〈経済便益〉へと変化したように,企業に新たな市場をもたらす「ビジネスチャンス」へと転換する.この 2001年におけるトレードの解釈の変化は,米国の KP離脱やマラケシュ合意を契機に ETの政策的な位置づけの転換をもたらした GHG排出削減のあり方をめぐる国際的な規範の変容(Cass, 2005)に呼応しているといえる.つまり,市場原理に基づいた政策手段である ETは当初,その新自由主義的な政策の性格ゆえに税やコマンド・アンド・コントロールなどの伝統的な規制手段を重視する立場から批判されていた.しかし,伝統的な環境規制の規範は,2001年を境目に,ETを環境保全と経済成長を両立し,持続可能な発展を志向する政策として捉え直すエコロジー的近代化の規範(Bailey et

al., 2011)に変容し,その規範の変容に伴ってトレードの解釈も変化したと捉えられるのである. 一方で,2007年以降の ETの相反するフレームの混在はキャップをめぐる論争の一形態として捉えることができる.キャップの設定は,〈削減促進〉では排出削減を確実に促進する機能として支持された一方で,〈経済規制〉では自由主義経済の原理を歪め,経済的な負担を増大させると批判された.すなわち,キャップをめぐる解釈の差異が新聞報道における相反するフレームの混在として表出したといえるのである. また,フェーズ 3では,「マネーゲーム」といった修辞法を用いたトレードに対する批判的な言説もみられた.このトレードへの批判は,次の毎日の投書記事(2008年 7月 15日 6面)のように,単に緩和策としての ETの適切さに疑問を投げかけるだけでなく,新自由主義的な資本主義体制そ

のものへの批判をも含意する:「国や企業間で温室効果ガスの排出量を売買する「排出量取引」が注目されているが,賛成しかねる.これは,資本主義の行きすぎではないか.本来の環境論からは遠く隔たっており,マネーゲームだ」.つまり,ETをめぐるメディアの言説は気候変動政策を含めた現代の資本主義経済のあり方そのものをめぐる価値観をも内包していると指摘できるのである. ※ 本稿の執筆に当たり,有益なコメントをいただきました石井敦氏,大久保彩子氏,米本昌平氏,青柳みどり氏,明日香壽川氏および匿名の査読者に感謝の意を表します.本研究は科学研究費補助金「日本の気候変動政策の意思決定過程におけるマスメディアの役割とその影響に関する研究」(特別研究員奨励費,課題番号:12J09803)および 2008

年度三井物産環境基金研究助成「EUの環境外交―越境大気汚染問題と地球温暖化外交の連続性の研究」(研究代表者:米本昌平)の助成を受けたものです.

注1) 本稿では,天野(2009)の指摘に従い,英語の

Emissions Tradingの日本語表記として―引用文献の原文引用などの場合を除き―「排出取引」を用いる.

2) そのため,本稿では新聞報道を総体的に扱い,新聞の間のフレーミングの違いについては,紙幅の都合上,詳述しない.

3) 地方レベルでは東京都で商業施設などを対象とした制度が 2010年に開始された.

4) この結果,環境省・経済産業省・内閣府の共同事業として JVETSなど複数の制度を統合した「試行排出量取引スキーム」が 2008年秋に実施された(明日香,2009;逸見,2011).

5) 著作権の都合上,データベース上で表示されなかった記事も除外した.

6) 本稿では分析で同定したフレームを山括弧で表記する.

7) 本稿では朝夕刊の区別で夕刊の場合のみ刊を明記する.

8) 本稿では新聞記事の原文引用を斜体で表記する.9) 2009年の民主党政権の誕生は,日本の気候変動政策の文脈でいえば,それまでの自民党政権下の産業界による自主的な対策を重視した立場から環境税や ET

などの義務的な対策を重視する立場への大幅な政策転換を意味した.そのため,ここではフェーズ 3を便宜的に 2009年で前後半に分けて記述する.

10) フレームが一切同定されなかった記事の割合は総記事数の 49%(972件)であった.

11

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朝山:排出取引をめぐる“意味”の政治学

11) 同記事のように,フェーズ 2では IETSとクリーン開発メカニズム(Clean Development Mechanism:CDM)を混同して報じる新聞記事がしばしばみられた(例えば,読売 2004年 12月 14日 13面;毎日 2006年5月 22日 夕刊 1面).

12) ETの制度的特徴について言及する記事は総記事数の 57%(1,125件)であった.

13) ETの制度的特徴について言及する記事のうち,キャップとトレードの双方の機能について記述する記事の割合はフェーズ 1と 2では各々14%と 29%だったが,フェーズ 3では 55%に増加する.

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