wikipediaには載っていない、名神高速道路が最初に開通した理由
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中央道と東名道の熾烈な駆け引き
1958 年 名神高速道路 着工 1965 年 東名高速・中央自動車道着工
→なぜ名神が一番最初だったのか?→なぜ、名神から東名・中央着工まで 7 年も開いたのか?
1940 年 重要道路整備調査→全国の交通量などを調査
1942 年 自動車国道説明書
→緊急整備区間として名古屋・神戸間を調査→大東亜共栄圏の中での高速道路網という考え方もあった
中央道 1947 年 平和国家建設国土計画大綱(田中清一)
→南アルプスをぶち抜き、東京・名古屋間を最短距離で結ぶ高速道路を建設する案
→GHQ の目に止まるも建設省は難色→政治運動を展開、開発を目的とした道路として建設させることに。有力な政治家に賛同するものが多かった。
東名道 建設省が内務省時代より東海道ルートでの建設を計画
→1955 年前後に首相吉田茂が外資の導入のメニューの一つとして検討→調査開始(当初民営案もあった)
中央道→政治家主導の開発目的の道路、東海道を「国道バイパスでよい」と主張
VS
東名道→官僚(建設省)主導の現実的な交通量に沿って計画した道路、中央道案に対して具体的な裏付けで対抗
→議論はこう着状態へ、具体的な法案の成立ができず
東海道計画も中央道計画も名古屋・神戸間は同じルートを通っている。
→名神高速道路部分を先に着工する(戦前から調査が進んでいたという部分もある)
世界銀行からお金を借りたい(外資の導入)→当初、世銀は否定的(「海運でいいじゃないか」)→計画の妥当性を評価してもらうために調査団を招く
1956 年、 3 ヶ月間日本の国土を調査→“The roads of Japan are incredibly bad. No
other industrial nation has so completely neglected its highway system.”
→ニッポンの道路はホンマにヒドい。よそのちいとでも進んでる国で高速造ってへんとこなんてないで。
→日本の道路は信じがたいほどに悪い。工業国にしてこれほど完全に、その道路網を無視してきた国は日本のほかにない。
1956 年、世界銀行からの融資を得て
同時着工(政治的決着)→この方法以外に建設法案立法の道はなかった→ただし、建設速度が同時というわけではない
東名道→いくつかの比較線が検討されたのち、東京・静岡間の施行命令を皮切りに、次々に施工命令が出される。
中央道 東京・富士吉田間の施行命令が出るも、その先は進まない。
→中央道派の重鎮にいる政治家の独断で諏訪周りへ(工事費用が非常に高額になることを理解し、避けた)
名神高速が先に着工したのは、戦前の調査が進行していたことと、政治的な理由でルートが定まらないことから
開発を目的とした高速道路誘致運動への萌芽が高速道路黎明期よりみられた
・参考文献 加藤宣利 「回想のハイウェイ」 吉田喜市 「高速道路建設史」
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