第十六回 藤井食品 瓦屋呉服店 増矢桐箱 · 「老舗の風景」第十六回 p. 7...
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第十六回
増矢桐箱
瓦屋呉服店
藤井食品
「老舗の風景」第十六回 p. 2
1960 年代後半ごろ、市内宮島町にあった工場。背負われている幼児が増矢社長
技術と心伝えたい
■増矢桐箱 中津市沖代町
陶器や掛け軸、線香、仏具などを〝包む〟桐(きり)箱。オーダー
メードで、包む物のサイズに合わせて一つ一つ仕上げる。使用
する桐の質や厚さ、細工もさまざまで、「一個」の注文もざら
とか。「部分的には機械も使いますが、基本は手作り。今どき
珍しい家内手
工業です」と
社長の増矢大
介さん(40)
は笑う。
祖父義夫さ
んが一九三〇
(昭和五)年
に起業した。
隣家がげた屋
で、「桐」が
身近だった初
代は、旧下毛
郡山国地域で
桐が産出され
ていたことも
あり一念発
「老舗の風景」第十六回 p. 3
起。京都に修業に行き、ものづくりの道へ入った。二代目時代
は桐が手に入りにくくなり苦労した。
桐は軽く、気密性が高い。湿度も恒常的で、腐食しにくい―
などの特性を持つ。木の成長は早く、十五年から二十年くらい
で製品化でき、耐用年数は百年以上と長持ちだ。今でこそ高級
なイメージだが、紙のない昔はとてもポピュラーなものだった
という。
地元での需要がほとんどだったが、近代化とともに受注エリ
アは拡大。現在は香の産地・淡路市(兵庫県)や萩(山口県)、
唐津、有田(佐賀県)の窯元など西日本各地にお得意さまを持
つ。
ひと口に桐箱といっても、上ぶたを丸く加工したり、端を〝組
工場では桐箱が手作業で作られていく
「老舗の風景」第十六回 p. 4
み込み〟で仕上げるなど細工は微妙で奥が深い。どんなオーダー
にも、「どこにも負けない技術」を誇る職人ら二十数人ととも
に応えている。陶器や線香の箱のほか、米びつ、へその緒用の
箱など多種多様で、多いときは数万個単位で受注する。皇太子
妃雅子さま御用達の器を納める箱を作ったこともある。
注文は県外がほとんどだが、「生まれ育った中津から…とい
うのが私には大事」と増矢さん。変わりゆく時代の中で「技術
とともに、ものを大切にするという心を伝えていきたい」。ふ
るさとに支えられ、桐箱文化はしなやかに息づいている。
中津支社・和田礼子(二〇〇六年六月十四日掲載)
昭和の町から「和」発信
■瓦屋呉服店 豊後高田市中央通
昭和三十年代の再生をテーマにした町づくりがスポットライ
トを浴び、観光客でにぎわう豊後高田市中心部の商店街「昭和
の町」―。桂川に架かる桂橋のたもとにある呉服店。
ショーウインドー越しに見る店内には和小物が並び、年代物
の荷車がひときわ存在感を放っている。「瓦屋呉服店」が江戸
時代から明治初期にかけて、国東半島各地の得意先回りに使っ
ていた呉服車だ。
「呉服店なのに、瓦屋なのはなぜ?」と店先で話し合う観光客。
現在の建物は明治時代に建てられたが、創業当時は瓦ぶきの家
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が珍しく地元客から「瓦屋」の愛称で親しまれたことに由来す
るという。以前耳にしたエピソードを思い出して店内へ。
瓦屋呉服店は商店街の中でも特に古い歴史を持ち、創業は
一七八八(天明八)年にさかのぼる。二百年を超える歴史を受
け継ぐ七代目の高井郁朗さん(47)、恵美子さん(43)夫婦が「い
らっしゃいませ」とお客さんを迎える。
着物の採寸をする 7 代目の高井郁朗さん(右)と妻の恵美子さん
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郁朗さんは東京都内の大学を卒業後、大阪府岸和田市内の呉
服店で三年間修業を積んだのち帰郷し、先代の博爾さん(73)
の後を継いだ。「父は口にしませんでしたが、うれしいことは
分かっていたので」とほほ笑む。
「着物は日本の伝統的な所作が身に付くし、日常と違う雰囲
気を楽しめる」と話す七代目夫婦。自分で着物を着られるよう
にと、着付けの勉強会を開くのがこれからの夢。「学校の卒業
式などいろんな機会で着物を楽しんでほしい」。昭和の町の一
角から「和」の心を発信する。
豊後高田支局・加納修一(二〇〇六年六月二十一日掲載)
畳敷きの番台奥
には、シーズンを
迎えた浴衣生地の
反物が並ぶ。落ち
着いた基調の古典
柄が多いのが分か
る。郁朗さんが「う
ちではお客さま一
人一人に合わせた
仕立てがほとん
ど。既製品や今風
の柄を扱うのでは
量販店と同じ。違
うことをしていか
ないと」と話す。
1788(天明 8)年創業の瓦屋呉服店
「老舗の風景」第十六回 p. 7
理想の豆腐追求
■藤井食品 日出町新道
県産大豆とにがりで作る高級品「日出どーふ」を開発した「藤井食品」
わき水に恵まれた日出町には十八世紀半ば、豆腐作りに適し
た「豆腐水」と呼ばれる井戸水があったという。伝説の豆腐水
があった場所に近
いせいか、藤井食
品の目と鼻の先に
も、かつて良質で
水量豊富な井戸が
あった。
絶好の環境で、
当代の和幸さん
(75)の祖母コウ
さんが商いを始め
た。時期は定かで
ないが、日出町商
工会史によると、
大正時代には営業
していたようだ。
戦時中は材料の
大豆が手に入ら
ず、休業状態に
なった苦い経験も
「老舗の風景」第十六回 p. 8
ある。戦後、ようやく再開したが資金はない。豆腐を売った代
金を握り、明日の大豆を買いに農家へ走る日々。「だけど苦じゃ
なかった。少しずつだが手元にお金が残り、商売の喜びも感じ
られた」。
ブリキの容器に出来たてを一丁ずつ入れ、単車で小売店まで
配達した時代もあった。昔の豆腐は今よりも固かったが、道路
が砂利道のため、崩れないよう気を使った。客は竹で編んだ豆
腐かごで持ち帰っていたという。
そんな流通や買い物の風景は今や様変わりした。「町の豆腐
屋さん」は姿を消していった。和幸さんは「昭和三十年代、速
見郡(日出町、旧山香町)に二十六軒の豆腐屋があった」と記
憶するが、今では藤井食品しか残っていない。
早朝の工場で出来たての豆腐を水槽からすくい、パック詰めする藤井和幸さん
「老舗の風景」第十六回 p. 9
「大型店が増え、豆腐も安売り競争に巻き込まれた。だが、
職人の意地というかね。安売りとは違う次元で勝負しようと考
えた」。ゴマ入り、ユズ入りと試行錯誤を重ねた末、粒よりの
県産大豆とにがりで作る高級品「日出どーふ」を開発。ようや
く納得のいく味にたどり着いた。
「豆腐の出来はいつも微妙な違いがあり、飽きることはない
が、昔からの豆腐だけを作り続けるのも張り合いがない」と話
す和幸さんは、少しでもおいしい豆腐を求め、理想を追求する。
「そのためには、気持ちを入れて作るしかない。近道はない」
日出支局・田尻雅彦(二〇〇六年六月二十八日掲載)
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別 府 大 学大分合同新聞社
ⓒ 大分合同新聞社
デジタル版「老舗の風景」 第十六回編集 大分合同新聞社初出掲載媒体 大分合同新聞(2005 年4月 6 日~ 2007 年 3 月 28 日)
《デジタル版》 2010 年 3 月 12 日初版発行編集 大分合同新聞社制作 別府大学メディア教育・研究センター 地域連携部/川村研究室発行 NAN-NAN 事務局 (〒 870-8605 大分市府内町 3-9-15 大分合同新聞社 企画調査部内)
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●デジタル版「老舗の風景」について 「老舗の風景」は、大分合同新聞社が 2005 年 4月から翌 2007 年 3 月まで、同紙夕刊に掲載した連載記事。今回、デジタルブックとして再構成し、公開する。登場人物の年齢をはじめ文中の記述内容は、新聞連載時のもの。2009 年 11 月 20 日 NAN-NAN 事務局
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