愛知学院大学政策科学研究所所報『政策科学』 第 3 号 (2012)

イタリアの成人教育一歴史・動向・課題

Adult Education in Italy -History, Trend and Issues ・

1 .イタリア成人教育の歴史的諸相

(1 )地域的特徴

イタリアの成人教育を歴史的に概観すると、次のよう

な地域的に際立つた特徴的な動向を見いだすことができ

る。

まず第 1 は、北部を中心に展開した労働者の学習権運

動である。イタリアの労働運動は北部、とくにミラノで

活発な展開がみられた。その運動から有給教育休暇制度、

さらにはそれを活かすための公的成人教育コース(通称

1150 時間コースJ) が生まれた。

また、その背景として、労働運動と密接に結びつきな

がら国・チ1'1 ・市町村とも提携した民衆教育事業が特に北

部を拠点に展開してきたことがあげられる。

第 2 は、中部から北部にかけて点在する人民の家(casa

del popolo)に集う人々の社会的連帯と、それと結びつい

た教育的・文化的な営みである。人民の家は、 19 世紀半

ば以降に生まれ、社会運動、文化運動の拠点、となってき

た施設である。左翼政党や労働組合、その他の社会運動

組織や文化サークル、スポーツサークルなどの事務所が

入っており、喫茶店もある。レストランがあるところも

みられる。

人民の家を拠点に活動するサークノレの連合体アルチ

仇RCI、旧イタリア文化レクレーション協会)には、様々

な分野の活動部門があり、日本にも組織があるスローフ

ード運動はこの傘下のサークルから生まれた。

第 3 は、南部を中心に展開した識字教育運動である。

全国識字連合がコムーネ(市町村)と提携し活動した。

以上のそれぞれの特徴的な動向が有機的に結びついて

全国的に展開してきた。

(2) ウマニタリア協会 (Societa Umanitaria)

先にあげた諸特徴のうち、北部の民衆教育事業をみる

と、その中心となったイタリア民衆教育連合(Unione

ltaliana dell'Educazione Popolare)の本部は、今回、我々

の視察の拠点となるミラノにおかれていた。イタリア民

衆教育連合は 1908 年に創設され、 1977 年頃までイタリ

アの民衆教育活動を推進してきた全国組織である。この

本部となったのは、ミラノに本部をおくウマニタリア協

中嶋佐恵子

Saeko Nakajima

姫路濁協大学外国語学部准教授

会である。

ウマニタリア協会は、 1893 年にユダヤ人資産家の寄付

を受け、ミラノ市により公的慈恵団体として創設された。

労働運動と密接な関わりを持ちながら多様な活動を全国

規模で展開してきており、 一時は解体の危機にあったが、

今日も存続している。

以下には、北部を中心的拠点としてイタリア民衆教育

事業を支えた組織の様相を伺えるよう、部分的ではある

が、その豊富な活動分野を紹介しよう。

労働調査・研究

O労働事務所 1902 年設立 労働者の生活、労働、衛生

などについて調査。

0移民事務所 1902 年設立 現地の就職先に関する情報

を翻訳。

0翻訳・情報の事務所 1905 年設立 外国の職業情報の

翻訳・紹介。

O社会博物館 1910 年設立 社会的諸機関の活動資料の

収集、情報交換、調査研究。図書館、研究室、付属学校

をもっ。付属学校には協同組合、労働法などのコースが

あった(夜間、日曜)。

労働者援護

0失業手当の金庫 1905 年設立

0職業斡旋所 1905 年設立 一般労働者(労働会議所と

協同で)のための職業斡旋所。パン焼き職人、菓子職人、

事務職員などのための職業斡旋所。

0労働の家 1907 年設立失業者に労働を提供。

0農業事務所 1905 年設立農業協同組合設立促進。農村

の消費協同組合設立。農業労働者の職業斡旋所の設立。

農民のための民衆教育、技術教育。

O協同組合 1903 年設立 協同組合促進のための事務所

設立。生産・労働協同組合の連合体設立。消費協同組合

の連合体設立。協同組合のための信用金庫設立。協同組

合員のための学校(簿記学校など)設立。

0法律相談所 1907 年設立

0生活相談所

O移民の家 1907 年設立 旧ミラノ中央駅の裏手にあっ

た。

0労働者住宅 1906 年設立

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POLlCY SCIENCE REVIEW Number 3 (2012)

教育・文化活動

O民衆劇場 1911 年設立

O職業学校 1903 年設立

専修実験室学校 電気工学、産業応用美術(木工、

鉄工、貴金属工、家具職人、寄木細工師、鍛冶屋職

人、装飾職人、ペンキ屋、金銀細工師、金メッキ職

人)、製本、洋裁師、左官，時計工などのための各

学校

女子職業学校

O本の学校(印刷・製本の職業学校) 1902 年設立

O成人のための夜間の識字学校

0師範学校 1910 年設立

0子どもの家、幼稚園教師の養成コース 子どもの家は

モンテッソーリ教育法を実践する施設。幼稚園教師養成

コースではモンテッソーリが教鞭をとった。

0成人教育のための合宿コース 1950 年設立

Oサノレデーニャ・プロジェクト 1959 年から参加。 OECD

の地域開発プロジェクトである。

0実験中学校 1956 年設立

など、労働組合や、県、コムーネ、銀行などとも提携し

ながらすすめていった。

2. 今日の成人教育

今日のイタリアの成人教育を以下のように整理し概観

する。

0成人教育センター(CIA)

1150 時間コース」が 1997 年より国立の地域生涯教育

センター (CTP) となり、さらにそれが 2008 年より県

立の成人教育センター (CIA) へと移行することとなっ

たが、実際にはまだ移行していないところが多い。

0高等技術専門課程 (IFTS)

1999 年より創設された高等教育レベルの職業教育訓

練課程である。 18 歳以上で参加可能。国(大学、高校)

と州(職業訓練センター)、企業の連携により運営され、

教育と訓練の統合が計られる。

0州立職業訓練センター

10 年の義務教育(高校 2 年めまで)の後に参加可能。

現在、職業専門高校(Istituto professionale) との統合プロ

グラムの実験が行われており、その是非をめぐって議論

がある。そこでは国の学校教育制度と州の職業訓練との

関係のあり方が問題となっている。

0コムーネの成人教育・文化活動

コムーネにより、独自の成人教育・文化活動が行われ

ているところもある。

0民衆大学、高齢者大学

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民間の学校形態の成人教育機関。

0人民の家、アルチ (ARCI、旧イタリア文化レクレーシ

ョン協会)

上記以外に多様な団体の教育・文化活動が展開されて

いる。

3. イタリア成人教育の今日的課題

これまでイタリア成人教育において追求されてきた課

題であり、かっ今日の重要課題として次の 2 点があげら

れよう。 1 点めは、移民労働者などの文化的・言語的マ

イノリティ、社会的弱者の人々もふくむすべての人々の

学習権保障、 2 点めは権利としての職業能力開発の保障

である。

それは、イタリア成人教育の歴史を踏まえていうなら

ば、学習権と労働権の統一的保障の実現に向けて、歴史

の中で育まれてきた学習権思想をどう深め現実化してい

くか、ということになろう。その際、網の目のような団

体のつながりによる実践の中から制度や文化を生み育て

てきたイタリアの伝統が、いかに生かされ発展していく

のかが今後を見通す鍵として注目される。