農六レポート vol04

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農六レポート vol. 4 震災特別号 2010.6.1 - 2011.8.10 《ふるさと起業塾》 農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業]

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内閣府 地域社会雇用創造事業 《ふるさと起業塾》 農村六起プロジェクト http://www.furusatokigyo.net/nouroku/

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Page 1: 農六レポート Vol04

農六レポートvol.4[震災特別号]

2010.6.1-2011.8.10

《ふるさと起業塾》 農村六起プロジェクト[内閣府 地域社会雇用創造事業]《ふるさと起業塾》 農村六起プロジェクト[内閣府 地域社会雇用創造事業]

Page 2: 農六レポート Vol04

“地域の課題” を 仕 事 に す る 。

復興計画の大きな柱の一つに「6次産業化」が謳われている。

私たちが取り組んでいる内閣府の地域社会雇用創造事業は、

「農村の6次産業起業人材育成プロジェクト(農村六起)」として

6次産業化を主体的に担う人材を育成するもので、

これは3.11後の時代と社会が最も必要としている人材である。

私たちのプロジェクトでは、インターンシップ事業と

インキュベーション事業において

被災地の復興支援にフォーカスしたプログラムを展開している。

前者は被災地域での活動を通して復旧・復興の一端を担いつつ、

6次産業化人材の育成研修を行うもので、200余名の研修生が現地に赴く。

また、後者に関しては「震災復興ビジネスプラン・コンペティション」を

2011年9月11日、仙台の地において開催する。

当レポートは、これまでのビジネスプラン・コンペティションにおいて、

被災地を起業地域として認定された「ふるさと起業家」たちの“奮闘の記録”である。

「破壊は前ぶれもなくやってきた」(※)

3月11日東日本を襲った大地震、大津波、それに続いた原発事故は、

私たちの経済・産業ばかりでなく、私たちの暮らしや生き方そのものに根底的な見直しを迫っている。

私たちは、復旧から復興への過程を通じて、

暮らしや生き方を再構築していかなければならないのである。

(※):東日本復興構想会議「復興への提言」前文   

農六レポート vol.4[震災特別号] | Contents

座談会 | 東日本大震災への対応とNGO・NPOの役割と期待

被災地のふるさと起業家レポート

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19

インキュベーションプログラム | 中間報告

プログラム概要

※本紙に掲載されている内容は、2011年8月10日時点の情報です。後に変更となる場合がありますので、予めご了承ください。

www.furusatokigyo.net/nouroku/

「ふるさと起業家」である渡部さんの事業拠点「六丁目農園」(宮城県仙台市)。

2011年3月11日の東日本大震災では、食器は全て割れ、

店内は壊滅的な被害状況だった。写真は震災1ヶ月前の店内の様子。

(詳細は10ページ)

Page 3: 農六レポート Vol04

“地域の課題” を 仕 事 に す る 。

復興計画の大きな柱の一つに「6次産業化」が謳われている。

私たちが取り組んでいる内閣府の地域社会雇用創造事業は、

「農村の6次産業起業人材育成プロジェクト(農村六起)」として

6次産業化を主体的に担う人材を育成するもので、

これは3.11後の時代と社会が最も必要としている人材である。

私たちのプロジェクトでは、インターンシップ事業と

インキュベーション事業において

被災地の復興支援にフォーカスしたプログラムを展開している。

前者は被災地域での活動を通して復旧・復興の一端を担いつつ、

6次産業化人材の育成研修を行うもので、200余名の研修生が現地に赴く。

また、後者に関しては「震災復興ビジネスプラン・コンペティション」を

2011年9月11日、仙台の地において開催する。

当レポートは、これまでのビジネスプラン・コンペティションにおいて、

被災地を起業地域として認定された「ふるさと起業家」たちの“奮闘の記録”である。

「破壊は前ぶれもなくやってきた」(※)

3月11日東日本を襲った大地震、大津波、それに続いた原発事故は、

私たちの経済・産業ばかりでなく、私たちの暮らしや生き方そのものに根底的な見直しを迫っている。

私たちは、復旧から復興への過程を通じて、

暮らしや生き方を再構築していかなければならないのである。

(※):東日本復興構想会議「復興への提言」前文   

農六レポート vol.4[震災特別号] | Contents

座談会 | 東日本大震災への対応とNGO・NPOの役割と期待

被災地のふるさと起業家レポート

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19

インキュベーションプログラム | 中間報告

プログラム概要

※本紙に掲載されている内容は、2011年8月10日時点の情報です。後に変更となる場合がありますので、予めご了承ください。

www.furusatokigyo.net/nouroku/

「ふるさと起業家」である渡部さんの事業拠点「六丁目農園」(宮城県仙台市)。

2011年3月11日の東日本大震災では、食器は全て割れ、

店内は壊滅的な被害状況だった。写真は震災1ヶ月前の店内の様子。

(詳細は10ページ)

Page 4: 農六レポート Vol04

4 農六レポート vol.4[震災特別号] | 《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業]

司 会  今 回 の「 東 日 本 大 震 災 」 で は

NPO、NGO、ボランティアのかかわりが

非常にクローズアップされています。い

ま何ができるのか、それぞれの立場から

ボランティアのあり方をお話しいただき、

今後日本がどう新しいかたちになってい

くのかというテーマで進めていきたいと

思います。

茂木 私は宮城県で、東北 6 県を対象に

して、NPO 法人学割 net という教育関係、

国際交流促進関係の事業をやっています。

宮城県は京都に次いで学生の割合が多く

て、日本人の大学生、専門学校生が毎年 3

万 5000 人ぐらい卒業しています。卒業し

て要らなくなった家電、家具をいただい

て、それを留学生に無償で渡しています。

その代わり、「30 時間ボランティア活動を

して」というように、幼稚園から中学校

までの国際交流をするボランティア活動

をしてもらいます。今回の震災でも仮設

住宅に移るとか民間のアパートを借りる

ときに家電、家具をお渡しするというこ

とで、いままでやってきたことが生きて

いる部分があります。

 宮城復興支援センターは、3 月 15 日に

立ち上げました。私は被災者ではないの

ですが、阪神大震災と中越地震にかかわっ

た経験からして、今後 7 ~ 10 年ぐらいは

東日本大震災への対応とNGO・NPOの役割と期待~新しい日本づくりをめざして~

史上最悪といってもいい無残な爪あとを残している「東日本大震災」。復興に対して、NGO・NPOに対する期待は大きい。

今回は、防災ボランティア担当の辻元清美総理補佐官とともに現場で直接活動をしている方々を招いてお話いただいた。

NGO・NPO、ボランティアの力、民の力に大きな期待

座談会

見城 美枝子認定NPO法人ふるさと回帰

支援センター理事長

茂木 秀樹氏宮城復興支援センター

センター長

辻元 清美氏衆議院議員、

防災ボランティア担当総理補佐官

大石 ゆい子氏福島県相馬市

おひさまプロジェクト代表

Page 5: 農六レポート Vol04

《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業] | 農六レポート vol.4[震災特別号] 5

システムづくりも含めて、宮城復興支援

センターを維持する必要性があるだろう

ということで、すでに 3 月 15 日の段階で

有償の職員を 4 人雇用して迅速な判断が

できる環境をつくりました。

大石 私は相馬市で「おひさまプロジェ

クト」という活動をしています。震災が

起きるまでは文化庁の事業で、伝統文化

を活用したまちづくりをやっていました。

飯舘村は、「までい流」というライフスタ

イルをずっと推進してきたので、そこを

フィールドに選んで、生き方に対して美

しい村ということで去年やっと指定にな

りましたが、これからというときに、こ

のようなことになってしまいました。

 いま私はみんなのところに足を運ん

で、とりあえず 聞き 取りみ たい なこと

を中心にやっていますが、うちの 場 合

は放射線量の数値が低いということで、

市長の判断で 籠 城を決めました。市に

は ほ か か ら も た く さ ん 来 ら れ て い て、

避難所に入れない方もいらっしゃいま

し た。 で す か ら 私 とし て は、 そ う い っ

た 方 々 の 支 援 と、 あ と は 病 院、 介 護 施

設の支援です。うちは 20 人ぐらいの、

地元の小さな団体です。

見城 東北の大震災にあったところは宝

庫なんですね。景色や人情ももちろんそ

うですが、これからの日本の食料をどう

していくかというときに、ふるさと回帰

支援センターとしては、都市と東北をど

う結ぶかということで大変期待をしてい

ました。また各県知事さんをはじめ、市長、

村長も大変に努力をされて、本当に「東

北へ」という矢印でしたね。それが一夜

にして壊れた。でも、すぐにそれぞれ連

絡を取ってみると、もう一生懸命立ち上

がっていらっしゃるんですね。

  ただ、その矢印も今回の原 発 の問題

で、また違った側面を出しました。福島

は特に美しく、東京にも近く、首都移転

でも第 1 候 補で 動いていたところです

が、そこが 原 発 で の 大 汚 染 を受けてし

まったわけです。

司会 少し補足しますと、うちは NPO

としては、全国の自治体との連携があり

ます。ですから自治体から一時避難の住

宅情報を出していただいて、うちのホー

ムページに載せて、被災した自治体とお

互いに直接やり取りしていただいて、一

時避難をどんどん進めていこうというこ

とをやっています。

辻元 私は 1996 年に初当選しましたが、

その前年まで、ピースボートという NGO

のメンバーでした。1983 年から 13 年間

活動していました。学生時代に途上国の

支援とか国際交流を始めて、最初はサー

クルの延長線上みたいなかたちでしたが、

いまの NPO のはしりというか、経済的に

も自立させてソーシャルビジネス的な側

面を持たせながら、国際交流もして国内

のネットワークもつくっていくという活

動を、アルバイトをしながらずっと続け

てきました。

 95 年に阪神淡路大震災があって、そ

の と き に 長 田 地 区 に 入 っ て 支 援 し ま

し た。 情 報 が 大 事 だ と い う こ と で、 最

初 は ト ラ ッ ク に 発 電 機 と 印 刷 機 を

持 ち 込 ん で、「 デ イ リ ー ニ ー ズ 」 と

いうかわら版みたいなものを出しました。

屋根のブルーシート張りから、がれきの

片づけから、炊き出しから、いろいろやっ

てきました。

あのときはボランティア元年と言われて、

爆発的にたくさんのボランティアの方が

来られて、これは希望だとなった。「ボラ

ンティア団体とかいろいろな団体が法人

格を取って活動しやすくなる法律が欧米

にはある。日本の中ではまだ社会的に認

められないから、そういう法律をつくろ

う」ということで NPO 法制定を公約に、

翌年に立候補し当選しました。

 今回の震災はものすごい規模ですから、

行政と政府だけではどうしても対応しき

れない部分があって、NGO・NPO、ボラ

ンティアの力、民の力がとても大事だろ

うと思ったので、当日はすぐにあちこち

のネットワークに電話をかけて、やれる

ことをやろうと発災直後から動き出した

Page 6: 農六レポート Vol04

6 農六レポート vol.4[震災特別号] | 《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業]

んですね。翌日も、72 時間後までに何を

するかということをやっていましたが、

みんなガソリンがなくて現地に行きたく

ても行けないというのが 2 日目でした。3

日目に、いきなり官房長官から官邸に来

てくれと言われ、「総理補佐官に」という

ことで、ニュースを見たら、もう枝野さ

んがそれを言っている(笑)。

 さっそく途上国支援の大きな団体の人

たちなどに集まってもらって意見交換し、

内閣官房に「震災ボランティア連携室」

をつくってボランティア活動をサポート

することにしました。道路が寸断されて

自衛隊とか警察、消防、政府の車は緊急

車両で高速道路も何とか走れたんですが、

「NGO、NPO を含めてボランティア団体も

緊急車両扱いにすべきだ」ということで、

優先給油もできるように調整をしました。

それから、学生が学校を休んでボランティ

アに行く場合は、単位にしてもらうため

に文科省から働きかけたり、今度岩手に

新しく復興連携センターをつくろうとし

ていますが、新しく NPO 法人を立ち上げ

るのに 4 カ月もかかるので、手続きを簡

略化することなどをやっています。国で

しかできない制度の整備を一手に引き受

けて、一本化した窓口を設置して活動し

ているところです。

茂木 いま、うちでは毎日だいたい 320

人送っていて、6 月には毎日 1000 人ぐら

い送れるような仕組みをつくっています

が、これは中越でも阪神大震災でもそう

でしたが、1 日とか 2 日だけというかた

ちでもボランティアを入れていることが

回っていない原因です。そこで私たちは、

ボランティアに関して組織化とルール化

をしました。

 組織化とは、まずボランティアの種類

を二つに分け、最低 1 カ月入れるボラン

ティアをボランティアリーダーにして、

最低 1 週間入れる方をボランティアスタッ

フとし、1 週間未満の方は全員お断りして、

ボランティア採用の依頼があったときに

はボランティアリーダー 1 名と、依頼内

容によってボランティアスタッフを数名

入れてチームとして送ります。

 ルール化の部分では、1 週間のボラン

ティアスタッフに関しては、入りが月曜

日で出は金曜日としています。そうする

と次の週に新しい人が入るのも月曜日な

ので、ボランティアリーダーは月曜日だ

け指導をすればよくなります。ボランティ

アリーダーが 1 カ月ごとに変わるときは、

31 日に入って出るのは次の月の 31 日と

しているので、リーダー同士でやればい

いわけです。

 いま被災地、避難所の現場で起きてい

るのは「ボランティアや物資が回ってい

ない」ということです。自治体の職員の

方が管理をしているので、本来は自分の

町の再生、復興をやらなくてはいけない

のに一切できません。ボランティアの仕

組みがしっかりできて、ボランティアリー

ダーと職員が常に話をしていれば、そう

いうよけいな作業をしなくてよくなるの

ですが。

ボランティアを被災地で有効活用するための組織化とルール化

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《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業] | 農六レポート vol.4[震災特別号] 7

 物資に関するうちの取り組みとして、

宮城県も置く場所がないとか、分配する

指示系統ができていないということで、

救援物資を受け付けません。うちは不要

なものや作業を入れないために、社団法

人中越防災安全推進機構さんと提携をし

て、私たちのセンターのバックアップセ

ンターとして、まずは全国の物資を新潟

の長岡市に入れて、そこで全部仕分けを

してもらっています。

 一番困るのは物資が一つの段ボールに

混在していることなので、おむつはおむ

つ、缶詰は缶詰というように、一つの段

ボールに 1 種類、そこに数量を書いて保

管してもらい、送ってもらうときや現地

に持っていくときは、依頼があったもの

以外は一切持っていかないようにしてい

ます。現在、このバックアップセンター

が長岡市、岡山市、さいたま市、埼玉県、

京都市、大田区にあります。

 岡山に関しては、さらに先を行ってい

て、市民から物資を集めるときも混在し

て い る も の は 一 切 受 け 付 け ま せ ん。 善

意はありがたいんですが、実はその善意

が現場を混乱させることもあるわけで、

「ノー」と言えることが大事です。物資の

管理がしっかりできるようになれば、被

災地で職員の手が空いて、よけいなこと

をしなくて済むので、自分たちの町の再

生、復興に力を入れることができます。

大石 ボランティアに関しては、とりあ

えず放射能の問題があるので行政はボラ

ンティアを歓迎しているわけではないと

いう事情があって、どちらかというとお

断りしています。ボランティアはいわば

グレーの部分ですが、私たちのところは

そこが少なくて、プロフェッショナルを

要する部分がとても大きいということが

あります。

 それと、国から市町村に情報が来てい

なくて、それよりも先にメディアから住

民のほうにいろいろな情報が行ってしま

うので、住民は役場をたたき、役場はそ

の対応に追われるという良くない循環で、

役場の人たちも必死にやっているのに追

いつかない。そういう状況の中で、どう

しようもないんだろうと思います。

辻元 被災者の立場に立つということだ

と思いますが、行政という立場になると

ちょっと違ってきます。私はボランティ

ア担当で、本当に苦戦して寄り添いなが

ら活動している NPO やボランティア、苦

しみも悲しみも共有している人たちから

の情報だったから敏感に反応できたけど、

そうじゃないとちょっとできないんです

ね。私も半官半民みたいな人間で、政府

の人間からはちょっとうるさがられたり

するんだけど(笑)、そこは頑張って言う

んです。

 今回は新しい動きもありました。東日

本大震災支援全国ネットワークができ、

全国の小さな NPO、NGO も含めて 500 団

体ぐらいが加盟して、情報交換などでき

ないかという全国のつながりで政府とも

定期協議をしています。内閣府、外務省、

警察庁、気象庁、防衛省の担当者を全部

連れて出席しています。政府がずらっと

並んで、「各団体から各省庁に言いたいこ

とがあったら何でも言ってくれ」という、

こういう協議の場ができたのは初めてな

んですね。

 もう一つは宮城県での新しい取り組み

で す。 政 府 と、 県 と、自 衛 隊 と、NGO、

NPO、ボランティア団体の人たちとの 4

者連絡会ができて、たとえば炊き出しな

どの調整ができるような会議が動きだし

ています。阪神淡路のときは 4 者の対立

構造みたいな感じがあったり、行政の下

請けにしようという人がいたりしました

が、対等なパートナーシップで、一緒に

調整や連携をしながら、協力してこの難

局を乗り越えようというかたちにしたい

と思っています。政府の側としても、対

等なパートナーシップで新しい公共、こ

阪神淡路の教訓をいかした新しい公共の考え方

東日本大震災への対応とNGO・NPOの役割と期待

~新しい日本づくりをめざして~

Page 8: 農六レポート Vol04

8 農六レポート vol.4[震災特別号] | 《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業]

れからの社会をどう切り開いていくかと

いう動きが出てきています。

 高橋 公さんにも新しい公共推進会議に

出ていただいています。そこには総理も

いれば官房長官、副長官、みんな出席し

ている。こんな動きも、これからの新し

い日本をつくる起爆剤にしていきたいと

思っています。

見城  こ れ だ け NPO、NGO が あ っ て、

いろいろな窓口があるんですが、たとえ

ばお金が集まって送りたいときに、どこ

を信用していいのかわからない。それが

本当の意味で必要なところに使われるの

かというところも、情報があるようで実

際にはないですね。

 たまたま、いい団体とコンタクトが取

れれば善意が実るし、より早い段階での

義援、支援になりますが、義援金の善意

がどう生きるのか、政府に対して疑問視

している部分がありますが、このあたり

はどうでしょうか。義援金募集のテレビ

広告にしても、公共広告でも、あらゆる

情報が送って下さいという募集まででそ

の使われ方など先がわからずにみんな急

いで送っています。

辻元 日赤とか中央共同募金会は独立し

た団体なので、「早く配ってください」と

言うことしかできなくて……。要するに

各県に配分するんですが、まだ行方不明

者がいるので県が「公平・公正がある」

「被害が何人なのかが出せない」となって、

配分できないんですね。

 物資もそうです。倉庫にいっぱいあっ

て、私が「向こうにマットレスがない。

ここにはある。何で配らないんですか」

と言うと「全員分ないから不公平だ」と

言うわけです。

見城 寒くて震えて過ごしたという情

報があるのに「毛布はもう送らないでく

ださい」というインフォメーションが来

たりしますね。

辻元 ニーズのマッチングができていな

い。いろいろな町にまだ孤立した人たち

がいらっしゃいます。1 階が泥だらけで 2

階に住んでいる方がいたり、いろいろな

NGO・NPO 団体がチェックして回って「倉

庫にあるものを届けさせてほしい」と言っ

ても、「市としてお預かりしたものはすべ

ての人に公平に配布しなければならない

ので」と対応できていないところもある

との情報も入ってきます。なんとか配れ

るように対応をしているのですが。

茂木 いまのお話の中で実は違う原因が

あって、災害対策本部があり、大規模な

物資管理のところがあり、その下に中規

模、小規模があって、その周りに自宅被

災者がいるという中で、要は災害対策本

部のところで一番問題になっているのは、

避難所で被災者に物資管理をやらせてい

るということです。そうすると、たとえ

ば町内会だったら「ここは好きだから物

資をあげる」「ここはだめだ」ということ

になります。あるいは、地元のおばちゃ

まが牛耳っているのでだめだという。そ

ういうことは中規模、小規模のところで

もあります。

 そういうことがあるので、うちはいま

南三陸で一つケーススタディをつくろう

ということで、中規模、小規模の避難所に、

ボランティアリーダー、3 人のスタッフ

という 4 人のチームを送っています。彼

らにスマートフォンを持たせて、IBM と

グーグルとヤフーの本社がバックアップ

についてクラウド化をしていきます。簡

単に言えば、情報の整理ができるプラッ

トフォームをつくって、その中で定期的

に必要なもの、何か困ったことについて、

うちのセンターから円滑に支援しようと

いうものです。

 あとは自宅被災者の支援です。彼らは

支援されているようで実は全然支援され

ていないので、200 人のボランティアを

送って、自宅被災者に対する物資の支援、

安否確認、あとはアレルギーなどの情報

をプラットフォームに入れて、その情報

を基に継続的な支援をしていくというこ

とをやり始めています。

辻元 私は個人的には東北の皆さんや

東 北 の自然 にもの すごく「 感 謝 」した

ん で す ね。な ぜ かというと関 西 でしょ

う。西のほうと東のほうは文化も違いま

すが、今回いろいろな人たちと触れ合っ

て、いかに東北の皆さん、それから東北

そのものに日本が頼ってきたかというこ

とを実感しました。

 食料もそうだし、エネルギーもそうだ

復興のコンセプトは「共生」と「絆」

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《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業] | 農六レポート vol.4[震災特別号] 9

し。東北の人たちと力を合わせて頑張ら

ないといけませんが、コンセプトは「共生」

と「絆」だと思います。まず「環境と人間」

の共生。そして「地方と都市」の共生や「生

産者と消費者」の共生。エネルギー政策

も含めて転換せざるを得なくなると思う

ので、そこの共生と、もう一度あらゆる

絆をどう復活させていくかということを、

今回これだけの犠牲者の皆さんを出した

ので、私たちは同時代に生きている者と

して目指さなければならないと思います。

見城 今回の東日本大震災を通して、あ

らためてふるさとの意味を考えましたね。

つまり「ふるさと回帰」と言って一生懸

命各地との絆を深め、都市との交流を進

めてきました。特に東北は本当に一生懸

命受け入れをしてましたので、そこに力

をお貸しすると言うとおかしいですが、

新しいふるさとにして欲しい、新しい東

北の力になって欲しいと、私はそういう

つもりでいたんですね。

 でも、この状況が来てみて、ふるさと

の大きさというのは大変なことなんだと

思いました。この大震災があったので、

東北の方に早くどこか安心できるところ

にいらしていただこうと、こちらはすぐ

にネットワークで交流の逆の流れをつく

れるから、「いらして、いらして」という

つもりでいたわけですね。それが助けに

なると思ったら、「離れない」と言うじゃ

ないですか。

  離 れられない 理由は、経 済的なもの

を含めていろいろあると思います。けれ

ど、もっと心の底に、自分のふるさとと

いうものに対する強い思いがあって、簡

単に「危険なんです。すぐにこちらに出

てきてください」とか、「そこは捨て置

いて新たにつくりましょう」ということ

はできないと。

 そういう大事なふるさとに将来を考

えたら本当の意味で戻れない人がいて、

その方たちの心のケア、経済的ケアに

ついて、ふるさと回帰はどういうふう

に力になれるのかという大きなものを

感じました。

 いままでは人が動いていけば力になれ

ると思っていたんですが、そういう問題

ではなくて、そこに新たに再構築すると

いう復興が可能な場合でも、

違ったかたちでも、とにかく

ふるさとに生きるということ

は大変大きなことで、一人の

人間ではなくご先祖からつな

がっているということを、つ

くづく感じました。そういう

先祖からの思いも NPO ふる

さと回帰支援センターがあら

ためてお引き受けして動かな

ければいけないということと、「今年来た

ばかり」という人でも、ある思いがあっ

て東北へ来たわけですね。だから生きて

きた長さだけではないので、そこをふる

さととして生きてきた方たちの思いをど

う受け止めるのか、それをどういうふう

にいいかたちで復興に結びつけるかです。

 生きてきたあかしだから、周りがとや

かく言えないことですが、それを踏まえ

た再生、復興にできるだけのことをしな

ければならないし、そのときこそ地元で

活動してきた皆さんの声が本当に大事で

す。そういう声が届かないと、間違った

施策、間違った支援になるのではないか

と思いますので、ぜひ活動を続けて広げ

ていっていただきたいと思います。

司会 ありがとうございました。

※この座談会は 2011 年 5 月 9 日に行われ、認定 NPO

法人ふるさと回帰支援センター発行「100 万人のふるさ

と」2011 年夏号に掲載されたものを転載しています。

東日本大震災への対応とNGO・NPOの役割と期待

~新しい日本づくりをめざして~

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10 農六レポート vol.4[震災特別号] | 《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業]

ふ る さ と 起 業 家 @ 宮 城 県 仙 台 市 若 林 区

渡 部 哲 也 さ ん

「食」の業界に長く携わってきた渡部さんは、その中でいくつもの社会的課題に直面しました。生産者が抱える担い手不

足や不安定な収入、社会的弱者の自立を難しくする偏見、食糧自給率の低下など。それらの問題を解決するための手立て

を模索していくうち、ある事業アイデアを思いつきました。それが「バイキングスタイルの有機野菜レストラン」。その事業

プランで渡部さんは当プロジェクトの第2回ビジネスプラン・コンペティションに出場し、「ふるさと起業家」(起業支援対

象者)に認定されます。そして 2010 年 11 月にレストランがオープンするや否や、その評判は口コミで広がり、ランチタイ

ムは連日予約で満席になる状態に。本人の自主性を重視する障がい者の雇用環境も実現した事業モデルは、広く注目され

るようになりました。しかしレストランの更なる展開を図ろうとしていた矢先に東日本大震災が発生し、店内と店舗周辺は

大きな被害を受けました。さらに押し寄せてきた津波は店舗の 1 メートル手前まで迫ってきたといいます。

インキュベーションプログラム

被災地のふるさと起業家レポート

 震災発生時は大きな揺れで店内の食器

類が全て落下し、めちゃくちゃになって

しまったのですが、幸いにもスタッフは

全員無事でした。しかし帰宅途中にスタッ

フのひとりが津波に巻き込まれ、2 階に避

難していた方に窓から奇跡的に助けられ

て九死に一生を得た、ということもあり

ました。その後仙台市内は停電となったの

ですが、店舗の入っているビルに自家発電

装置があったために真っ暗な町中にぽつ

んと明りが点る状態となり、自宅を流さ

れた周辺住民の方達が 300 名ほど避難し

てきました。店内には食糧があったので、

まずは炊き出しを行うことに。飲食店の

強みを生かしながら、3 日間は緊急避難所

となりました。しかしその後も強い余震

が続き、また海岸線の町の壊滅的な状態

を目の当たりにして、何から手を付けて

いいのか全く分からず、資金繰りや今後

の経営見通しについて考えても、それは

不安に突き当たるばかりでした。

何から手を付けていいのか分からなかった

Page 11: 農六レポート Vol04

《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業] | 農六レポート vol.4[震災特別号] 11

渡 部 さ ん 起 業 プ ラ ン

手作りにこだわった有機野菜

バイキングレストラン

バイキングスタイルの手作りにこだ

わった有機野菜レストランを新規開

設する。障がい者をスタッフに雇用

し、食材供給を農家と連携を取りな

がら行う。農家との直接取引で、食

材を安価に安定的に仕入れることが

でき、規格外やキズものなど、見た

目は悪いが中身は本物の食材を十分

に活用して食材の無駄を無くし、農

家の収入アップに貢献する。

震災時に発生した津波は、店舗の手前 1 メートル手前まで迫ってきて奇跡的に止まった。写真左手の方向には津波による多くの犠牲者を出した多賀城市や名取市があり、その中にはレストランに通っていた方々もいたという。駐車場も冠水し、借りていた畑も水没した。

店内では障がい者 25 名、健常者 13 名が働いている。本人の自主性を重視した現場では、他県から噂を聞いて視察に訪れる経営者達を驚かせるほどにいきいきと働いている。高いモチベーションを持ったスタッフ達の働きが居心地のいい店内環境を生み出し、常にテーブルは満員状態である。

 大震災の 1 ヶ月後、4 月 9 日にようやく

営業を再開しました。しかしその 2 日前に

起こった震度 6 強の地震の影響もあり、震

災前は 1 日平均 115 名の来店があったの

が、1 日 15 名ほどになってしまいました。

近隣の町から通ってくださっていた方の中

にも震災でお亡くなりになった方がいまし

たし、しばらくは寂しさと不安が募りまし

た。しかし徐々にお客さまが戻り始め、5

月からは 100 名を超える日が続き、結果的

に震災前以上のお客さまに足を運んでいた

だくようになりました。これはとても励み

になっています。

 今回の震災に遭って知ったのは、6 次産

業は震災にも強い、ということです。借り

ていた畑は店舗より海岸寄りだったために

水没してしまいました。もし生産のみを行っ

ていたら困窮を極めたところでしたが、加

工と販売があることで従業員は働き続けら

れるし、収入を途絶えさせることなく事業

を存続できます。また被災された農家さん

に対しても、少ない量でも加工を行ってい

ることが買い支えを可能にします。

 6 次産業化(1 次× 2 次× 3 次)のベー

スには労働力があります。そこを私は社会

的弱者といわれる人達を雇用することを

メインに考えています。障がい者、高齢者、

そして今回被災者が加わった。いま被災

地では雇用創出が急務ですが、震災を経

験して、働こうにも働く場がない人達に 6

次産業化による雇用創出が非常に有益で

あるということを改めて実感しています。

水産業や農業に特化していた被災地域で

あれば、これを機に 6 次産業化をベース

に復興プランをつくり、そこから新しい

雇用を生み出していく。その過程で課題

にぶつかったならば、お手伝いもしたい

ですし、私の事業を先行事例として使っ

ていただいてもいいと考えています。

 今回の震災を生き延びた私たちは、この

悲惨な状況を何としてもプラスに転じてい

かなければならないと思います。津波で壊

滅的な被害を受けた地域は、いままでの枠

組みがなくなった。それを 6 次産業化を進

めやすい土壌であるととらえて、元に戻す

のではなく、今までよりも雇用を生み出せ

る仕組みのある地域づくりが実現できれば

いいと思います。いち民間企業にできるこ

とは限られているが、行政と連携してもっ

と大きなスケールで町ごと 6 次産業化でき

るような復興を実現したいと思います。

震災にも強い6次産業

大きなマイナスをプラスに転じなければならない

六丁目農園http://www.sprasia.com/tv/user/rokunouen/

宮城県仙台市若林区六丁目字南 97-3e- 環境仙台ビル 1F営業時間: 11:30 ~ 15:30(ランチのみ)

Page 12: 農六レポート Vol04

12 農六レポート vol.4[震災特別号] | 《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業]

ふ る さ と 起 業 家 @ 福 島 県 喜 多 方 市 山 都 町

小 川 未 明 さ んみ は る

学生時代は農業を学び、また 4 年間にわたるパラグアイでの海外生活も経験した小川さんは、様々な社会経験の後に実家

に戻り、2009 年 3 月より有機農業を開始しました。2010 年 7 月に行われた第1回ビジネスプラン・コンペティションで「ふ

るさと起業家」(起業支援対象者)に認定された後、ふるさとである喜多方市山都町で事業プランを実現するべく、周囲の

協力を得ながら活動を展開。しかしその最中に大震災が起こり、そして原発事故に見舞われました。

インキュベーションプログラム

被災地のふるさと起業家レポート

 3 月 11 日に地震が起きた時は地元にい

ました。地震直後、周辺では倒壊などの大

きな被害はありませんでしたが、しばら

く経って近所の人が田んぼに水を入れた

時に水が漏れてしまい、調べてみたら地

割れが起こっていた、ということがあり

ました。しかし原発事故の影響について

は本当に大変です。報道でも既知の通り、

稲わらをはじめとして様々な物への放射

能汚染が明らかになるにつれ、まずはしっ

かりと安全を確認することが最重要事項

と考え、放射能対策に取り組みました。土

壌をはじめトマト、キュウリなど種類ご

とに日本とフランスの両機関に放射能検

査を依頼しましたが、結果は全て ND(放

射性ヨウ素、セシウム 134、137 全て検出

されず)でした。検査に関してはここま

でするのか、というくらい徹底し、その

結果をどんどん公開しています。またセ

シウムが含まれないような栽培技術の努

力も続け、安全・安心を自他共に得られ

るようにしていきたいと思います。

徹底的な放射能検査を行い、懸命な安全対策を続けていても、風評被害などの難しい問題が山積する。そんな中でも変わらずに注文をし続けてくれる人や新たに繋がる人もいる。そんな方たちのために毎日丁寧に大地と向き合い、生産活動を続けている。

確実な安全のための努力と技術

Page 13: 農六レポート Vol04

《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業] | 農六レポート vol.4[震災特別号] 13

専業農家が減少し、若者が都市部に出て行く一方で、全国各地から研修生がやってくる。取材時にも遠く福岡からやってきたという研修生が、炎天下、小川さんや仲間と共に収穫や出荷準備に汗を流していた。

小 川 さ ん 起 業 プ ラ ン

会津在来種たべらんしょ

喜多方市山都町内にある遊休農地

で会津の在来種(主に雑穀、豆類)

を栽培し、加工・販売するプロジェ

クト。同地域は、過疎化が深刻で

あり、農産物の販路確保に問題を

持つが、その一方で同地域への新

規就農希望者は多い。そこで、①

会津在来種保存、②遊休農地の有

効利用、③雇用創出と新規就農希

望者の定住化、を行うことにより、

地域の活性化を図る。

会津の在来種である丸なす。紫色に輝くツヤとコロンとした丸い形が愛らしい。丸なすの他にも庄左衛門というインゲンやトマト、クマモチ、城南小松菜などを栽培している。日本で唯一栽培している「飯豊メロン」とインゲンは、「会津のこだわり食材 100 選」にも選ばれた逸品である。

豊かな生態系が息づくこの土地で有機栽培を行うことは、ただ付加価値をつけるだけでなく、天敵や花粉媒介昆虫の住処を確保し守っていくこともにもなる。研修生の受入・育成や田植えイベントなどを通して都市との交流を図っており、地域の活性化にも取り組んでいる。

 震災前から福島はさまざまな地域の課題

を抱えていました。高齢化と過疎化、全国

一という遊休農地の面積。特に会津地方は

山間地域で積雪量も多い厳しい環境である

ため、専業農家が減少傾向にあります。ま

た雇用も少ないために、若者が地元から出

ていってしまうという状況ですが、一方で

新規就農希望者が多い地域でもあります。

この新規就農希望者や専業農家、地域で生

まれ育った若者がこの地で暮らしていける

ようにするためには、販路の確保が大きな

課題のひとつになっています。

 この課題への解決には、生産物の栽培~

加工~販売という 6 次産業化を確立し、収

入源を安定させて雇用を創出するという流

れが不可欠と考えています。具体的には会

津の在来種を中心に栽培しており、その種

ならではの特徴を生かした加工品の開発を

行っています。在来種は一般的に手間がか

かるため、敬遠されることが少なくないの

ですが、だからこその希少性を生かして販

路を拡大していきたいと考えています。生

物多様性の観点から、役割の大きい中山間

地域において農薬や化学肥料を極力使わな

いで栽培することはとても重要なことです

が、雑穀や豆類の在来種の栽培は農薬や化

学肥料を使用しなくても比較的簡単に行え

ます。食物や環境へのこだわりが強い新規

就農希望者にとってもこの点が強く共感で

きるところでもあり、彼らが在来種栽培の

担い手となり、地元の人達とともに地域の

活性化を図っていくことを期待しています。

 震災後、それまで繋がりのあった方達の

うち約 3 割ほどは残念ながら関係が切れ

てしまいましたが、それ以上の励ましや応

援もたくさんいただき、新しい繋がりも

できました。以前からじっくりとつきあっ

ていただいていた方達とはさらに絆が深

まったと感じることもあります。放射能

問題と向き合うことは大きな困難ではあ

りますが、確実な対策を行っていくこと

と皆さんの応援を支えに、6 次産業化を成

功させたいと思います。どうぞ応援をよ

ろしくお願いします。

大きな困難を前にした今こそ6次産業化の強みを活かす

震災で得た新たな繋がりを大切にしたい

チャルジョウ農場 / そる工房喜多方市山都町木幡字 芦倉 58-2

Page 14: 農六レポート Vol04

14 農六レポート vol.4[震災特別号] | 《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業]

  私 は 2011 年 2 月 26 日 に 開 催 さ れ た、

第 11 回ビジネスプラン・コンペティショ

ンで、2 度目の挑戦で晴れて「ふるさと起

業家」に認定していただきました。その週

明けには早速加工施設の機材の見積もりや

配置などについて、業者と現場の下見を行

う予定を立て、起業に向けて始動しました

が、そこで大震災が発生しました。

 3 年前から毎年 200㎏ほどの青梅とそれ

を漬け込むしそ葉を栽培し、加工・販売し

ていたのですが、原発事故の影響により農

作物の出荷規制が生じ、福島市内は放射線

量の低い地区でしたが、葉物野菜の出荷自

粛により梅干の加工は中止せざるを得なく

なりました。また兼業農家ではありますが、

今春の畑作の作付はすべて自粛し何も作物

を作っていません。

 これらの理由から、認定を頂いた支援を

一度は返上しようかと考えましたが、仲間

の果樹農家さんの「こんなときだからこそ

良い物を作る」という考えに共鳴し、果樹

の収穫をしています。しかし、やはり福島

県産の作物の販売は不振です。

 私の住む福島市では夏休みに子供達が県

外へ出てしまい、そのまま県外へ転校する

家庭も増えてきました。また、観光客も減

少し、直売や例年送ってきた個人客への売

上が減っているために、例年以上に多くの

作物が農協などへ出荷される結果、物流価

格が下がっています。

 

 福島県内から県外へ避難する住民が増え

る状況で、県内産の作物を積極的に購入し

てくれる団体や、イベント等で購入しても

らえる生産者はごく一部です。そして、こ

のような販売の企画がなくなってしまう

と、福島県産の商品は何も売れなくなるの

ではないか、と不安が募ります。

 またこの状況では、親としての対応も迫

られています。我が家にも小学生と中学生

の子供がおり、私を残していつ・どこに子

供と妻が避難しようかと話し合っている段

階です。周囲には既に父親を残して避難し

た家庭も多く、単身の父親が増えました。

 放射線量の風評被害は本当に深刻です。

作物の生産、加工製造後も販売不振で、農

家は 9 割から 8 割の減収という事態に追い

込まれています。認定を頂いた当初は自己

資金で金融機関からの融資を受け、開業に

向けスタートする予定でしたが、畑作の生

産をしていない、果樹農家と連携して加工

品を製造しても風評被害による現状から販

売の拡大が見込めないなどの理由から、今

年度は販路拡大を中心として進めていき、

来年の加工製品販売拡大に向けたベースを

作っていきたいと考えています。

 可能な限り自らの手を動かして、起業に

向けた働きを進めていきます。

ふ る さ と 起 業 家 @ 福 島 県 福 島 市 土 湯 温 泉 町

阿 部 幹 郎 さ ん

起業拠点の敷地内にオープンする「空カフェ」。阿部さんの奥様が経営をするが、店内では阿部さんの加工品も販売する。カフェの隣には加工所や倉庫も備えている。

起業家認定を受けて数週間後に大震災、そして原発事故が発生

親として、地域住民として向き合うべき現実と不安

起業家としての今後の方策

起 業 プ ラ ン くだもの大国地域活性プロジェクト

農家と連携しつつ、地域で生産される桃やサクランボ、キュウリ、なす、トマト、ブルーベリー

をはじめとした果物や野菜を加工するために、加工施設を設置する。手作りの特性を生かし、

アレルギー体質を持つ方や老人向けにもこまやかな対応ができる商品を生産し一般消費者及び

地元飲食店等に加工品を販売する。また、加工施設を開放し加工教室を開催する。

○ ウェブサイト:http://bikkiv.blog45.fc2.com/

Page 15: 農六レポート Vol04

《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業] | 農六レポート vol.4[震災特別号] 15

 2 月のビジネスプラン・コンペティショ

ンで起業家認定を受けてから、開業そして

商品販売に向けて、プランの見直しや、農

家など関係各所との打ち合わせ、そして販

促チラシの制作などを粛々と進めていまし

た。事業の大きな柱である綿の栽培につい

ては、農家の方と一緒に講習を受けている

ところでしたが、そんな最中に大震災が起

きました。

 「千年に一度の大震災がなぜ東北でこの

時期に…」という思いが今もって強くあり

ます。喜多方を含む会津地方を支える基幹

産業は、観光と農業であり、今後この震災

がもたらす影響は計り知れません。

 特に喜多方は市をあげてのグリーン・

ツーリズムがやっと軌道に乗った矢先で、

外国人の受け入れも多くなってきたとこ

ろでした。私たちの事業は、今まで子ども

や団体中心だったグリーン・ツーリズム

を、女性の個人客をターゲットに農泊農

家で農作業や手仕事をしながら、年間を

通じて<宿泊+体験>を楽しんでもらう

企画です。また、街なかの商工とも連携し、

蔵のまちにふさわしい体験をオプション

で用意しています。震災以降、観光や修学

旅行、合宿のほとんどがキャンセルになっ

ており、人に来てもらってはじめて成立

する私たちの事業にとっては、非常に厳

しい状況となりました。

 

 夫が経営する旅館では、震災後多くの被

災者を受け入れましたが、喜多方には仮設

住宅が建つことはなく、せっかくの人口が

増える機会を失ってしまいました。地域の

人々の小さなコミュニティや思いやりが少

なからず被災者の方々の支えになっていた

と思いますが、地域全体での素早い対応

や創造力がもっと必要だったと思っていま

す。旅館にいらっしゃる被災者の方々に、

日々の生活が安定してきた頃、私たちの事

業のネットワークを通じて、農作業のボラ

ンティアをお願いしました。被災者として

の暮らしから、日常に近い畑仕事をするう

ちに、このまま喜多方に住みたいと思い、

喜多方移住を決めた方もいらっしゃいまし

た。このことから、住みたい人と地域のマッ

チングがもっとスムーズにできていれば、

さらにたくさんの移住者が現れたのではな

いか、と思い、この経験は今後に生かした

いと思います。

 「 女 性 の た め の グ リ ー ン ツ ー リ ズ ム 

かったんこっとん」を事業化しようとした

一番の理由は、どんな時でも女性の明るさ、

逞しさ、柔軟性があれば、世の中なんとか

なるという思いからでした。いま日本全体

が沈みがちではありますが、震災前と変わ

らぬ笑顔で、私たち女性の笑い声を世間に

ふりまいて、前向きに活動していこうと思

います。

インキュベーションプログラム被災地のふるさと起業家レポート

“ 女性のためのグリーン・ツーリズム ” をコンセプトにした「かったんこっとん」は 2 月に行われたモニターツアーが好評を博し、震災後も再開の問い合せがくるほどに。

震災がもたらした大きな課題

被災者と地域との交流から移住者が生まれた

女性の明るさ・逞しさで震災前と変わらぬ笑顔で前向きに

ふ る さ と 起 業 家 @ 福 島 県 喜 多 方 市 小 田 付 道 下

齋 藤 百 合 子 さ ん

起 業 プ ラ ン女性のための喜多方グリーン・ツーリズム

「かったんこっとん」事業

会津起原の綿と喜多方の農資源をモチーフに、農商工官学が連携した 6 次産業を創出する。ま

ず農家での年間の綿づくり体験と農泊をセットにし、女性を対象としたグリーン・ツーリズム

事業を行う。その滞在中に、これまでクローズアップされなかった喜多方の自然、工芸、技、

食を体験メニューに組み入れ、新たな喜多方の魅力を知ってもらい継続的な誘客につなげる。

○ ウェブサイト:http://homepage3.nifty.com/azumaryokan/verino/kattan/kattan.htm

Page 16: 農六レポート Vol04

16 農六レポート vol.4[震災特別号] | 《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業]

 2011 年 2 月に行われた第 11 回ビジネス

プラン・コンペティションで起業家認定を

受けてからは、近隣のお客様の農園商品を

直接販売したり、郡山市のこだわり直売所

「さくらベーシック」にて店頭販売を行っ

たり、農業体験イベントや東大生との農泊

企画などで都市農村交流を進めたりと、多

忙ながらも楽しく活動を進めていました。

 震災後は、収穫直前のブロッコリーや寒

じめほうれん草の出荷停止をはじめ、直売

所の顧客が引っ越したために売上が減少。

さらに夏の桃にいたっては、従来のお客様

(近隣の方々)はお中元として贈れない…

と、注文が激減しました。今年の福島の作

物は、風評被害により、データ上問題がな

くても信頼できない、という厳しい現実

に向き合わなければいけなくなりました。

 また田んぼでは水路が壊れてしまい、今

年はお米がほとんど作れなくなりました。

このままだとお米を購入する農家になり

そうです。

 放射能の健康への影響や、先行き不安で、

精神的にダメージを受けている方が増えて

きているように思います。私の事業プラン

は、農業を通じて笑顔と元気を広げよう…

というシニア世代に限定した起業アイデア

です。しかし今の福島は、世代問わず元気

がない方が多いです。問題山積、不安いっ

ぱいで過ごす日常から生まれてくるもの

は、なんでしょうか?

 農業は生きる原点です。土壌汚染や放射

線値など、気になることは沢山あります。

現在(2011 年 8 月 10 日時点)私の住む須

賀川の農作物に、出荷停止はありません。

微量の放射性物質は、どんな影響を与える

か、まだ誰もわかりません。前例がありま

せん。できる限りの安全対策を講じる必要

があります。

 しかし、たった一度きりの人生です。脅

えて過ごすも笑顔で過ごすも、時は等しく

流れます。私は、このような時だからこそ

命の源である農業をもっと身近に感じても

らえる食育塾的な展開を模索しはじめまし

た。私は看護師であり健康管理もできます。

介護相談もできますし、育児相談も可能で

す。そんな自身のスキルをフル活用し、農

業を通じて人が集まり、笑顔になるコミュ

ニティを今年秋から作りあげるべく準備を

始めています。

 みなさんにお願いがあります。福島の農

作物や人を嫌わないでください。同じ日本

人です、差別されると不安がる地域の方々

がいます。福島・岩手・宮城ほか被災地の

復興は、すなわち日本の復興だと思います。

 世界は見ています、私達日本人の行動を。

皆が繋がり復興に向かうことが、選ばれる

日本になっていくのではないでしょうか。

ふ る さ と 起 業 家 @ 福 島 県 須 賀 川 市 和 田 字 沓 掛

寺 山 佐 智 子 さ ん

仲間の農家と連携してできた「食べて支える福島応援便」。顔の見える農家であること、自分の子供に食べさせられる物であること、を基準として販売している。

起業家認定後は活発な活動を開始

震災後に生じたさまざまな問題

生きる原点としての農業と自身のスキルを活用する

起 業 プ ラ ン65歳以上のシニア世代がいきいき農的デイサービス

市内でのケアマネージャーや訪問看護師の経験を活かして、65 歳以上の方々に、農業のノウハ

ウを教えながら、健康管理と農業という生きがいを提供できる “ 農縁 ” を作る。利用者の健康面、

生活面を把握した上で、その方にあった農ライフプランを作り、実践。お年寄りが元気になると、

市の医療保険給付や介護保険給付が減少し、国の財政を助けることにもつながる。

○ウェブサイト:http://momoyanosachiko.365blog.jp/

被災地の復興はこれからの日本の復興

Page 17: 農六レポート Vol04

《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業] | 農六レポート vol.4[震災特別号] 17

 2010 年 8 月に開催された第2回ビジネス

プラン・コンペティションで起業家認定を

受けた後は、春先の開業に向けて 4,000 球

のチューリップの球根を一つ一つ手植えを

したり、採りたての野菜をバーベキュース

タイルで食べて頂く構想を考えたりと、準

備に日々忙しくしていました。

 しかし震災時に発生した津波によって、

開業予定地のハウスと、あと 1 ヶ月程度で

咲くはずだったチューリップ、そして 10

万ポットほどあった花達がすべて流されて

しまいました。また津波で海水をかぶった

畑や田んぼは 「塩害」 で今後 5 年間は作物

が育たない状態となりました。

 岩沼市は沿岸部に企業が多く、今回の津

波で職を失い、また専業農家さんたちも多

く被災されました。いま地域では農家の皆

さんの連携が途切れ途切れになっていま

す。もう一度地域の連携を再構築して、沿

岸部の力を結束すべきだと考えています。

 今回の震災を通して色々な方々の力をお

借りし、助けられて 「人と人の繋がり」 を

痛感しました。今後は職を無くされた方を

優先して雇用を進め、今回津波の被害が無

かった山側の農家の方とも連携を強くし

て、地元密着型の無農薬栽培野菜を発信し

ていくことで地域を活性化していきたいと

思っています。

 大震災から 5 ヶ月が経ちましたが、原発事故の影響はとても深刻です。注文は軒並みキャンセルとなり、いつ収束するとも見通しの立た

ない今の状態は、とても不安が募ります。このような状態ですが、手探りながらもできることから始めたいと思います。

ふ る さ と 起 業 家 @ 宮 城 県 岩 沼 市 寺 島 地 区

大 泉 功 太 郎 ・ 俊 介 さ ん

ふ る さ と 起 業 家 @ 福 島 県 福 島 市 飯 坂 町 字 小 川

安 斎 さ と 子 さ ん

インキュベーションプログラム被災地のふるさと起業家レポート

途切れ途切れになった地域の連携を再構築したい

起 業 プ ラ ン

起 業 プ ラ ン

観光農園 ふれっしゅふぁ〜む〜人と人との繋がり〜

福島フルーツBOXプロジェクト

宮城県岩沼市寺島地区内において、ミネラル栽培・無農薬栽培を主体に生産法人、農家、小学校、

福祉施設と連携し、食の安全、安心、食育、福祉を融合させた観光農園として起業する。直営売店、

各種教室、栽培方法展示、栽培実演、ワイルドフラワー、栽培体験、収穫イベントなど開催。

また小学校総合の学習プログラム、及び福祉施設のコミュニケーション施設として受け入れる。

○ 所在地:宮城県岩沼市寺島地区(仙台空港より約 15 分・仙台中心部より約 40 分)

地域の農家の女性たちが利用できる加工施設を設置。りんご、さくらんぼ、もも、柿、ブルー

ベリー、プルーン等の規格外やキズものの果物によるジャムやお菓子、ドレッシング等の加

工品の開発や、地域住民や観光客等に対する加工体験等を実施する。こうした事業を通じて

地域の歴史や文化を伝えるとともに、経済的な効果と農村の活性化を目指す。

○ ウェブサイト:http://anzai-kajuen.com/

Page 18: 農六レポート Vol04

18 農六レポート vol.4[震災特別号] | 《ふるさと起業塾》農村六起プロジェクト [内閣府 地域社会雇用創造事業]

インキュベーションプログラム 中間報告ふるさと起業家58名が誕生。うち14名は起業を成し遂げ、多彩な事業展開へ。2010 年 7 月に東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターでの第 1 回開催を皮切りにスタートした「農村六起ビジネスプラン・コンペティション」。途中東日本大震災によるプロジェクトの中断などに見舞われながらも、2011 年 7 月までに15 回を数えた。以下は、データに見る事業成果である。

応募

者数

プレ

ゼン

22411

3

起業テーマ

応募数

構成比(%)

合格数

合格率(%)

地域複合アグリ

ビジネス

1.新たな農産物の  生産と加工流通 40 17.9 14 35

2.農水産物 (規格  外品)等の加工 41 18.3 13 31.7

3.農水産物の  販売・流通 34 15.2 6 17.6

4.農水産物活用の  レストラン 24 10.7 5 20.8

ふるさと回帰産業

5.空き家の開発、  木工製品・家具等 10 4.5 3 30

6.農村・農産物  へのIT活用 8 3.6 1 12.5

7.農村への  サービス提供 16 7.1 5 31.3

次世代ツーリズム

8.農水産物  (食)ツーリズム 16 7.1 7 43.8

9.観光・教育の  農園・漁園 11 4.9 3 27.3

10.健康・医薬等の  開発 10 4.5 1 10

11.その他 14 6.3 0 0

計 224 100 58 25.9

起業プラン応募者総数の内訳。男女比を見てみると、圧倒的に男性の方が多いことがわかりますが、ふるさと起業家に認定された女性は 13 名。合格率は、ほぼ同じという結果になっています。

起業プラン応募者総数を年代別に見てみると、30 代が多いことがわかります。しかし、多くの世代に『6 次産業化』というキーワードが浸透しつつあるのではないか、とも気付かされる結果です。

男性174名

30代30.4%

60代17%

20代20.5%

50代13.4%

40代18.8%

女性50名

起業支援対象者

58

ふ る さ と 起 業 家 一 覧

[第 1 回 東京]金子 弘子 | 佐賀県小川 未明 | 福島県笠木 恵介 | 福島県山本 建夫 | 島根県瀬尾 泰弘 | 鳥取県飯干 淳志 | 宮崎県砂澤 雄太 | 北海道

[第 2 回 仙台]大泉功太郎 | 宮城県福倉 光幸 | 千葉県安斎さと子 | 福島県渡部 哲也 | 宮城県

[第 3 回 大阪]中村 隆行 | 鳥取県代田 京子 | 広島県

崎枝百合香 | 沖縄県[第 4 回 福岡]

田島 彰一 | 佐賀県後藤 政子 | 大分県山内 康二 | 熊本県竹下 明伸 | 熊本県

[第 5 回 東京]小野塚雅弘 | 新潟県多田 尚功 | 千葉県

[第 6 回 札幌]大廻 慎司 | 鳥取県本郷  歩 | 北海道石井 秀一 | 北海道森田 武志 | 北海道

[第 7 回 長久手]山川 洋明 | 愛知県

高田 美枝 | 愛知県[第 8 回 新潟]

青木  勝 | 新潟県池山 崇宏 | 新潟県西畑 良俊 | 新潟県

  刈屋 将志 |      高志 |

新潟県

[第 9 回 東京]白川 洋輔 | 茨城県吉田スエカ | 熊本県工藤 英幸 | 大分県鵜澤 佳史 | 東京都五辻  活 | 山梨県

[第 10 回 福井]北山大志郎 | 福井県夏野 宜秀 | 福井県

[第 11 回 福島]寺山佐智子 | 福島県阿部 幹郎 | 福島県齋藤百合子 | 福島県山本  智 | 秋田県

[第 12 回 札幌]五木田慎作 | 北海道鈴木 英世 | 北海道井川 公子 | 北海道二階堂哲也 | 北海道岡田  文 | 北海道

[第 13 回 福岡]平岡 浩晃 | 熊本県松本 仁美 | 熊本県小村 秀蔵 | 長崎県森  淳也 | 長崎県

[第 14 回 周防大島]佐藤 哲夫 | 山口県岡山  誠 | 熊本県田村 義孝 | 愛媛県松村 久子 | 熊本県

[第 15 回 富山]小谷  淳 | 福井県藤田 常徳 | 新潟県米山 秀基 | 新潟県日浦 弘子 | 新潟県

★ ★

★★

★…起業済み

平成 22 年 7 月~平成 23 年 8 月時点

Page 19: 農六レポート Vol04

〈 上記のほかのプログラムや参加方法・イベント情報などは、公式サイトから!〉

農村六起プロジェクト公式サイト | http://www.furusatokigyo.net/nouroku/

被災地復興支援

松島地域づくり

[第21回] 長野

9/3(土) 長野バスターミナル会館

夏休みスペシャル インターンシップ 大阪インターン

[第22回] 山形

9/10(土) 山形テルサ

[第23回] 大阪

9/17(土) シティプラザ大阪

[第24回] 東京

9/23(金祝) 早稲田大学

[第25回] 函館

10/1(土) 北海道教育大学 函館校

9/11(日) 仙台放送・上杉ホール

被災地域での 6 次産業での再起を支援!農村の 6 次産業化、 住まい支援事業、ツーリズム事業、コミュニティ事業、ケア事業など、6 次産業および農山漁村関連事業の起業を目指す方々を支援します。

宮城県松島町で復興支援活動を実地研修とする 2 ヶ月限定のプログラムです。講義研修と並行して、実地研修は農林水産業の復興支援活動をはじめ、観光地やお寺・公園など様々な 6 次産業の現場で地域づくりを学びます。

○ 研修期間:2011年8月~10月1日 ○ 研修地:松島町の4箇所

新潟から宮崎まで、全国各地の “ ふるさと ” で田舎体験をしながら 6 次産業の現場で実地研修を行います。

○ 研修期間:2011年8月~9月末 ○ 研修地:全国14地域

関西を研修拠点とした、特別プログラムです。実地研修先は奈良県の農園や京都の茶畑など。

○ 研修期間:2011年8月~10月末 ○ 研修地:関西地域

ビジネスプラン・コンペティション

インターンシップ

インキュベーションプログラム

ビジネスプラン・コンペティション

現場体験を通して 6 次産業と地域づくりを学ぼう!

インターンシッププログラム

9 月 以 降 も 全 国 各 地 で 開 催! [ 全 会 場 入 場 無 料 ]

秋 も イ ン タ ーン シ ッ プ 実 施 中! [ 全 プ ロ グ ラ ム 参 加 無 料 ]

※開催日時・会場などは変更となる場合があります。詳しくは公式サイトでご確認ください。

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www.furusatokigyo.net/〒112-0014 東京都文京区関口1-47-12 江戸川橋ビルTEL:03-5206-5346 FAX:03-3260-6778e-mail:[email protected]受付時間:10:00~18:00(月~金)※土・日・祝日及び夏季休業期間、年末年始を除く

《ふるさと起業塾》事務局

お問い合わせ

www.furusatokaiki.net/〒104-0061 東京都中央区銀座4-14-11 七十七ビル3FTEL:03-3543-0336 FAX:03-3543-0346受付時間:10:00~18:00(月~金)※土・日・祝日及び夏季休業期間、年末年始を除く

実施団体

100万人のふるさと回帰・循環運動推進・支援センター

www.furusatokigyo.net/nouroku/[農村六起]プロジェクトのインキュ

ベーションプログラムで「ふるさと起

業家」(起業支援対象者)に認定され

た小川さんは、起業地である福島県

喜多方市で在来種を中心とした農作

物の生産と加工・販売を行っていま

す。3月11日の東日本大震災直後に起

こった原発事故により、放射能汚染

の被害に見舞われました。現在は徹

底した検査を繰り返し、安心と安全の

ために懸命の努力を続けています。